【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
情報戦
 打つ手が見つからずイライラの
募る秀吉のもとに池田恒興が羽黒
の戦いで敗退した娘婿の森長可を
従えてやって来た。
「家康を動かすには三河の岡崎城
を攻めれば、兵が退きましょう。
どうかこやつめにもう一度、機会
をお与えください」
 恒興がそう言うと深々と頭を下
げた。森長可はそれよりもさらに
深々と顔を地面につけんばかりに
頭を下げた。
 秀吉も家康の居城である岡崎城
を攻めることは考えていたが、そ
の先の家康の行動がまったく読め
なかった。チラッと見た先に養子
にした十七歳の秀次が立っていて
目が合った。
 秀次は機転をきかして秀吉のも
とに歩み寄って言った。
「そのお役目、私にお命じくださ
い。家康をしっかとひきつけてご
覧にいれます」
 秀吉は後継者にしようと考えて
いた秀次を試すにはちょうどよい
機会かも知れないと決断した。
「よう言うた秀次。そちが総大将
となり家康をしばらくの間、三河
で足止めさせよ。よいか戦うこと
は相成らん。過信は禁物じゃ」
「はっ」
 秀吉の行動は早い。軍目付に選
んだ堀秀政に秀次のことを頼み、
自分は撤退準備にとりかかった。
一方、家康の陣営では秀吉が撤退
しているという報を聞き、いつも
の策略と判断して作戦を練った。
 情報戦では秀吉より家康のほう
が上手だった。こういった場合、
家康はもっぱら伊賀衆を情報収集
にあたらせた。
 伊賀衆とは諜報活動を得意とし
た伊賀の技能集団で、普段は庶民
として生活を営みながら、武家が
知ることのできない最下層の情報
を集めることで動乱を事前に知
り、また、動乱を起こす情報を流
してかく乱するなどして武家に取
り入り生き延びてきた。
 本能寺の変が起きた時、家康が
伊賀越えをして逃亡するのを事前
に知っていた伊賀衆が道案内を
買って出て助けたことから、家康
に厚遇されるようになっていた。
 家康のもとには伊賀衆からの情
報が次々に入り、羽柴軍の動きが
将棋盤の駒のように正確に分かっ
ていた。
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