【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
辰之助と茶々
 大坂城では秀吉の正室ねねと数
人の側室が出迎えていた。
 秀吉は天下を狙うようになって
色欲が旺盛になったのか、京極竜
子、南の局など次々と家柄のよい
美女を側室にしていた。しかしね
ねをはじめ誰にも子はできないで
いた。
 普段なら側室のそうそうたる美
女の出迎えに上機嫌でニヤついて
一人ずつ声をかけていく秀吉なの
だが、家康に敗北したイライラが
たまり、ねねにさえ目を合わせよ
うとせず、ムスッと城内に入って
いった。
 秀吉の機嫌が悪いのを事前に
知っていたねねはいっこうに動じ
ず、後をついて行った。
 廊下をいかにも機嫌が悪そうな
足音をたてて秀吉が歩いていると
戸の向こうから子の声が聞こえ
た。
 聞き覚えのある謡曲の節に秀吉
が戸をぶっきらぼうに開けるとそ
の部屋には三歳になった辰之助と
その母が座り、十七歳の茶々が舞
う姿をして立っていた。
 茶々は越前、北ノ庄城で母、お
市の方を喪(うしな)った悲しみ
も癒え、秀吉から養女のように迎
えられ庇護を受けていた。
 いきなり鎧に陣羽織で少し怒っ
たような顔をした秀吉が戸をあけ
たものだから辰之助は泣き出し母
にしがみついた。そして茶々は慌
ててひれ伏すわで瞬時に殺伐とし
た雰囲気になった。
「あいや、や」
 慌てて取りつくろおうとする秀
吉の横をねねが割って入った。
「おやおや。驚かすつもりが、そ
なたらが驚いたわね」
 ねねは茶々の側に行き優しく顔
を上げるように促した。
「いやいや、わしは怒ってはおら
んぞ。さっきまでは怒った顔をし
ておったかもしれんが、今はそな
たらを見て上機嫌になった。い
や、ハハハハ」
 秀吉は照れ隠しに笑って見せ
た。
「す、すぐに着替えてくるからも
う一度じっくり舞を見せてくれ。
そうじゃ、皆も呼ぼう、皆も呼ん
で驚かそう」
 そう言うと秀吉は陣羽織を脱ぎ
ながらそそくさと部屋を出て行っ
た。
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