【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
日本侵略の企て
 秀吉が博多に滞在した目的の一
つにはスペインからやって来たイ
エズス会の日本準管区長コエリヨ
に会うためだった。かねてから三
成はスペインが同盟ではなく、日
本を占領する野心があるとみて、
コエリヨが所有している軍艦の売
却を要求してその返答で判断する
よう秀吉に進言していた。
 秀吉は九州征伐で大友氏が装備
していた大砲の威力に魅せられ、
コエリヨに大砲を装備した軍艦の
売却を要求した。これを拒めばキ
リシタンに災いが降りかかると懸
念した小西行長らがコエリヨを説
得したが聞き入れなかった。これ
に激怒した秀吉はスペインに日本
侵略の企てありとみて、すぐにキ
リシタン禁止令を出し宣教師は十
日以内に国外退去するよう命令し
た。
 かつて日本は広大な大陸を支配
する蒙古に狭い国土を侵略されそ
うになるという理不尽な体験が
あった。さらに今は大陸を狙う諸
外国の拠点として占領されるかも
しれないという状況にある。それ
を阻止するために信長が天下統一
を目指し、秀吉が成し遂げようと
していたのだ。

 秀吉は九州征伐の残務処理を
弟、秀長に任せて天正十五年(一
五八七年)七月半ばに意気揚々と
大坂城に凱旋した。その後すぐに
上洛して朝廷に九州平定を報告す
ると、戦勝祝いに訪れた家康と会
い、完成間じかの聚楽第を視察し
た。
 周囲に堀を巡らせた聚楽第は秀
吉が政務をおこなう大邸宅だった
が、平城として天守のある本丸、
二の丸が建てられ、その威圧を和
らげるため、いたる所に金箔を
使った装飾が施されていた。また
賓客をもてなす時のために千利休
の屋敷も造られていた。
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