【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
利休の錬金術
 この頃、秀吉は士農工商の身分
法を確立しようと考えていた。そ
うした中で大名が町人である利休
の弟子になることなど許せるはず
がなかった。また利休の詫び茶は
一種の宗教のような広がりをみせ
ていたことも秀吉には脅威だっ
た。
 秀吉は九州征伐の後に起きた一
揆をキリシタン信者の扇動による
ものと考え宗教を警戒していたの
だ。つい先ごろも前田利家から出
羽で一揆が起こったと知らせが
あったばかりだ。そして秀吉が利
休を恐れた本当の理由は別にあっ
た。

 時はさかのぼり永禄十一年(一
五六八年)
 天下布武を掲げ勢いに乗る織田
信長はこの時、三十五歳。
 室町幕府は末期の混乱状態に
あった。それを好機とみた信長は
第十五代将軍に足利義昭を推した
て上洛を果した。この時に信長は
堺商人から軍資金の調達をした。
そこで今井宗久から千宗易を紹介
された。
 信長は宗易の錬金術師のような
才能にいち早く気づき茶頭にして
茶の湯を広めた。
 特定の金山でしか手に入らない
金に比べ、どこでも誰にでも作れ
る茶器をあたかも価値のあるもの
に見せかけ、流通させれば、自分
でいくらでも金を作れることにな
る。それを資金に換え軍備の調達
をしたり、茶器そのものを戦で手
柄を上げた兵士に褒美として与え
れば金を減らさずにすむ。そう考
えた信長は自らも高価な茶器を買
いあさり、そのことを「名器狩
り」と揶揄(やゆ)されたが、こ
れは茶の湯の宣伝をするためで、
商人も加わって茶器の価値をつり
上げることに成功した。そして公
家や大名を巻き込んだ茶器投機が
起こった。
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