【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
滝川一益
 滝川一益は羽柴秀吉や柴田勝家
と並び称されるほど織田信長に重
用されていた。
 天正十年(一五八二年)三月の
天目山の戦では信長の長男、信忠
を補佐し、総大将として武田勝頼
を破り武田氏を滅亡させた。その
褒美として上野と信濃の一部を拝
領したが、領地を褒美としてもら
うより、茶器の「珠光小茄子」を
ほしがるほどで領土拡大に執着す
るそぶりを見せなかった。
 この三ヵ月後に起きた本能寺の
変に乗じて北条氏直、氏邦らが兵
五万六千人で上野に侵攻してき
た。これに対する一益の兵は二万
人足らず。一時的には勝利したが
その後敗退して本来の所領である
伊勢、長島城に逃げ帰った。この
ことで織田家の今後を決める清洲
会議に出席できなかったとされる
が、それ以前に北条氏政から一益
へ「本能寺の変が本当に起きたの
か」との問い合わせがあり、氏政
へは「もしそれが事実だとしても
疑心を懐かぬように」と知らせて
いる。このことから北条一族と真
剣に戦う気などなかったと考えら
れる。
 一益は清洲会議で必ず内紛が起
きると読んでいた。そこで北条一
族との戦いを理由に欠席し、内紛
の混乱を利用して漁夫の利を得よ
うと企てた。しかし予想に反して
秀吉が三法師を擁立してあっさり
後見人に収まってしまったのだ。
 天下取りの野望が潰えた一益は
しかたなく秀吉に味方することを
決めた。ただし、一益は秀吉より
十三歳年上で単に味方になると
いっても信用されず、いずれ厄介
払いされる可能性があり、それは
死を意味していた。
 こういった世代交代の時がいち
ばん危険なことを一益は熟知して
いた。そこで一益は茶の湯の師匠
である千宗易を介して秀吉と密か
に通じておき、表向きは秀吉に反
抗する姿勢を見せて、秀吉に反感
を抱いている者をあぶりだし、そ
れらを一掃する役目を買って出
た。
 まずは柴田勝家の甥で今は養子
になっている勝豊が標的となっ
た。
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