【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
近江
 柴田勝豊の養父、勝家は清洲会
議で信長の妹、お市の方と秀吉が
築城して居城とした近江の長浜城
を手に入れ、勝豊に長浜城を与え
ていた。
 秀吉は勝豊が長浜城に入城する
時は、快く迎え、宴会まで催した
がいずれは奪い返したいと思って
いた。それは近江が鉄砲の生産供
給地だったからだ。
 この頃、鉄砲は近江と和泉・堺
で生産され近江商人と堺商人が取
り扱っていた。
 秀吉の茶頭となった宗易は堺商
人の代表なので、もう一方の近江
商人を手なずければ天下取りは盤
石の態勢となる。
 一益は秀吉が近江をほしがって
いることを察し、勝家、勝豊を焚
き付け、秀吉に敵対する姿勢を鮮
明にさせた。

 天正十年(一五八二年)十二月
 勝家は北陸の越前、北ノ庄城を
居城としていたため冬は雪深くな
り動けなくなった。それを待って
いた秀吉はすぐに勝豊が居城する
近江、長浜城を兵五万人で完全に
包囲した。
 ここで秀吉が勝豊を長浜城に迎
えた時の宴会が生きてくる。
 秀吉は勝豊にあの時のことを思
い出させ、味方につけば悪いよう
にはしないと降伏を促した。こう
いった時には秀吉の弟の秀長が裏
付けの役目をして豊勝を信用させ
た。
 勝豊はあっさりと長浜城を明け
渡し、秀吉の軍門に下ることにし
た。
 一益が選んだ次の標的は織田信
孝だった。
 信長の三男、信孝は本能寺の変
が起きた時、秀吉と合流して戦っ
た。したがって清洲会議では秀吉
が味方になり自分が信長の後継者
に選ばれると思っていた。しかし
秀吉は亡くなった長男、信忠の
子、三法師を選んだ。その不満が
くすぶり続けていたのだ。
 一益から柴田勝家が秀吉に敵対
していることを知らされると、自
分を擁立してくれた義理もあり、
勝家に味方することにした。
 秀吉は柴田勝豊を降伏させたわ
ずか十日後に信孝の居城である美
濃、岐阜城を包囲した。
 ここでも秀吉は懐柔策を駆使
し、信孝の父、信長に茶頭として
仕えた千宗易を説得に向かわせる
などして降伏させた。
 秀吉はこんな慌しい間にも山城
に山崎城を築城していた。そして
完成すると凱旋し、まもなく新年
を迎えた。
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