【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
家臣の登用
 秀秋はこれらの家臣たちを筑
前、筑後、肥後の方々にある諸城
に分担させた。その分担の仕方に
は特徴があり、家臣の性格を陰陽
に分け、陰の者には城内の仕事を
任せ、陽の者には城外の領地の管
理などを任せた。そして陰と陽を
兼ね備えた者の中から城主を選ん
だ。中にはいきなり城主になる者
もいた。
 城主はいつも城にいるのではな
く普段は名島城に集められ全体の
指示確認と城主間の情報交換をさ
せた。こうすることで領地全体の
様子が把握でき、短所は見つけや
すく長所は広めやすかった。
 秀秋は時々、諸城に出向き、そ
こで供の者を選んで馬を乗り回し
領地を案内させた。こうすること
で供に選んだ家臣がどれだけ領地
のことを把握しているか知ること
ができた。
 最初は馴染まなかった領民もし
だいに顔見知りになっていった。
 しばらくして京では大地震が発
生した。
 伏見城の天守閣とその周りの大
名屋敷が倒壊したが、城にいた秀
吉は難を逃れ、捨丸から名を改め
た秀頼と淀、北政所らは大坂城に
いて無事だった。この地震での死
者は五百人を超える大惨事となっ
た。
 秀吉はすぐに新しい城を伏見の
木幡山に築城するように命じて復
興にとりかかった。
 秀吉はこの大惨事でも皆が無事
だったことに利休の呪いが解けた
という思いがして安心した。ちょ
うどその頃、明の使者が大坂城に
登城して和平交渉をおこなうこと
になった。 
 秀吉には初めから和平交渉など
する気はなく、これを機会に再
度、朝鮮への出兵を企んでいたの
だ。
 明の態度に怒りをあらわにした
秀吉は予定通り朝鮮出兵の準備を
命じた。
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