…だけど、どうしても
秋 そうして

1.



「だいぶ強くなってきたな。」

レストランを出ると、彼が端正な顔をしかめながらそう言って、私の手からするりと傘を奪った。傘の柄に触れる時、指先と指先がかすかに当たってどきりとした。

あれから本当に、彼はエスコートで必要な時以外、指一本私に触れてはこない。
傘を広げ、彼は私に大きく傾けてそれをさし、車に向かって歩き出す。
そんなに私にばかりさしかけていたら、あなたが濡れてしまう…私はそう思うけれど、彼が一切頓着した様子を見せないので、口を閉ざした。
彼はいつも車移動だから、天気予報には疎いみたい。夕方から既に小雨が降っていたけれど、あまり気にかけていないようだった。

彼…芹沢紫苑と私は、こうして時々一緒に食事をするようになって、二ヶ月ほど経つ。

パーティーの夜、連絡すると言われたけれど、彼には携帯番号も何も教えていなかった。

あんなところで会うなんて思ってもいなかった。
人混みの中で、彼の姿は一人明らかに特別だった。異質、というのとは違う。彼は華やかなそのパーティーに何も違和感無く溶け込んでいたけれど、それでも人目を引いていた。私もたぶん、他の人と同じように、彼の纏っている雰囲気に無意識に目を向けさせられた。選ばれた人なのだ。


どうして、ここに。
パーティーの為のドレッシーなスーツに合わせて、目元にかかっていた前髪をワックスで掻き上げたようにセットし、際立ったあの怜悧な相貌を、見間違えるはずがない…
彼の真っ直ぐに私を射抜く視線に、血の気が退いた。…まさか…私を探しに?


逃げなくちゃ。

咄嗟に不自然にならないように…それからもちろん、再び出会えたことが嬉しくないはずはなかったから、彼に向かって微笑みかけながらも、真っ先に思ったことはそれだけだった。
逃げなくちゃ、逃げなくちゃ。彼は私が誰なのか知っているのだ。それに、また言葉を交わしたら今度こそ私は彼に堕ちてしまう…

全速力で逃げ出したくせに、あんなふうに追いかけられて、引き止められて、求められて、本当に涙が出るほど、嬉しかったけれど。
渡された名刺も捨てられずにいたけれど。
私から連絡することはないだろう…

そう思っていたのに、三日後にはもう、向かい合って一緒に夕食を食べていた。


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