ヒーローに恋をして
 右隣で林が唸っている。
 城之内は組んだ両腕の肘をわずかに林の腕に押し当てることで、黙れと伝えた。この映画で三作目の付き合いになる林は、意図を正しく汲んで押し黙った。
林の問うような視線は無視して、目の前の若者二人を見る。そのまま手探りで、パイプ椅子に置いている台本を掴んだ。
  
 シーン七の冒頭。本来なら、今日からスタートするはずだったナオトとユキの出会いのシーン。
コウと桃子は台本をめくることもせず、向かい合って演技を続けている。音声の扱うガンマイクはまだ彼らの上にない。にもかかわらず、二人とも声量があるのか声はスタジオ内によく響いた。

 海外のモデル上がりとアイドルの共演。林からこの映画の監督を依頼された時は、一瞬断ろうかとも思った。モデル上がりとアイドルを使って、どんな映画に仕上がるのかは予想がつく。けれど結局は林の顔を立てるつもりで、話を受けた。

 ユリアの芝居は予想通りのものだった。コウはまぁ、悪くない。けれど良くもない。とりあえず二人がかわいく、格好良く撮れればいいからなんて林に言われ、苦笑したのが初日のこと。
しかしここにきてのアクシデントが、プロデューサーの思惑を無視した画を描いている。

 コウと、その正面に向かい合う桃子をじっと見つめた。

 桃子がコウを小馬鹿にしたように笑った。冷たい目、自信に裏打ちされた笑み。今彼女は桃子ではなく、ユキになっている。
 突然代打の提案をされ、途方に暮れた顔をしていたのはついさっきのことだ。どうしたい、と聞いても明瞭な答えはなかった。マリコが見抜いたように、彼女は芝居が好きじゃないのかもしれない。

 にもかかわらず、今の桃子は生き生きとしていた。ふっと横を向けば、ほかのスタッフも忙しなく手元の台本と桃子を見比べて目で追っている。現場に生きる人間たちは切り替えが早い。その後ろでマリコが、審判のように冷静な目で若手二人の演技を見ている。
 意識を二人に戻す。芝居は生き物だから、よそ見をしている時間はない。
 
 ナオトの言葉に、ユキの目が頼りなく揺れた。それが一瞬後、また冷たい目にかき消される。
 城之内は手元の台本に目を落とした。今のシーンのト書きを見る。

ナオト「あんたみたいな女がトップに立つ会社じゃ、誰もついてこないな」
ユキ 「(目を見開いて、その後また元の表情に戻る)いいから出て行きなさい」

 このト書きは、ユキがナオトの言葉に腹を立て目を見開く、という意味で書いたものだ。

 けれど今、桃子はナオトの言葉に傷ついてみせた。

 氷の女王様が一瞬だけ見せた素顔はやけに印象的で、城之内は無意識のうちに笑みを浮かべていた。
 
 トウコのユキは、おもしろい。

 十二年前、共に仕事をしていた子どもを思い出す。当時の桃子は、顔立ちがヒーロー役の俳優に似てるという理由だけで連れて来られた素人だった。それなのに、ときおり驚くほどの集中力を見せることがあった。

 そう、決してトウコは芝居が下手じゃなかった。むしろ視聴者に本当のヒーローのように思わせて、だからこそ番組が終わった後に仕事がうまくいかなくなったんだろう。

 うまい芝居は視聴者を引きこみすぎる。その役者の、次の居場所を奪うほどに。

 ――だけど、今なら。

 桃子の向かいではコウが一歩も引かない表情で火花を散らしている。昨日の本読みの時とは段違いにレベルの高い演技。このモデル上がりの青年はどうやら、力を出し惜しみしていたらしい。
 昨日に引き続き、今日も「マネージャー」を売りこんできた「役者」を見つめる。どんな経緯があるのか知らないが、少なくとも桃子は一人じゃないようだ。だから。

 今ならもう、大丈夫だろう?
 
 心の内で尋ねて、城之内は唇を片方上向けた。
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