航空路
「おい、今、誰か入ったの見たか?」
 聞いた秀喜の声が震えている。
 誰でもいいから見たと言ってくれ――質問というより、そんな秀喜の魂の訴えが聞こえてきそうだ。
 そんな秀喜の訴えを裏切るかたちで、笹田と工藤は首を横に振った。こんな状況で嘘をつく意味などない。それを証拠に、二人の顔面も蒼白になっている。
 トイレに背中を向けていたので、僕は誰が入ったのか見ていない。けれど気配を感じなかったのは事実だ。
「……疑問を放っておくより確認しよう。誰が出てくるのか待てばいい」
 僕の案に三人は生唾を飲みこむと、言葉なく首を縦に振った。緊張の中、息を潜めて出てくるのを待つ。
 程なくして、鍵の開く音が響き、表示が緑になった。トイレの扉が少し開く。
 しかし、十秒、二十秒――一分と待っても、人が出てこない。
 不思議から不安に、最終的に恐怖の感情に切り替わる。掌だけではない。全身から汗がどっと噴き出てくる。背筋に悪寒が走っているから、これは冷や汗だ。
「……声かけようか? 中で倒れているかもしれない」
 秀喜は言うが、当人にそのつもりはないのだろう。視線を僕に向けたまま動かさない。
 僕は思い切って口を開いた。
「誰か入ってますか?」
 訊いてから、自分が馬鹿馬鹿しいと感じた。
 誰が入ったのか見ていない――そう三人は言っているが、僕は確認していないのだ。 
 自動的に鍵が解錠するなんて、現実にはありえない。
 返事がないので、僕は扉に手を掛けた。
「開けますよ」
 中の人に語りかけるように扉を開く。そこには――
「!」
 いるはずの人がいなかった。
「嘘だ――」
 目の前で自動的に開いた鍵、しかも、扉も確かに開いたのだ。いない訳がない。
 当然、トイレは窓のない密閉空間だ。それに、窓があったとしても、高度一万メートルの上空では、開けて逃げようなどとは誰も考えつかない。
 不意に笹田が言っていた、バミューダ現象を思い出した。
 フロリダ半島とプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ『魔の海域』。行方不明事件においては、こちらの方が知名度は高いだろう。
 テレビで、何百もの飛行機や船が行方不明になった海域と聞いたことがある。機全体と人だけが姿を消す現象との違いはあるが、どちらも消滅したという共通点がある。
 更に、バミューダ現象とともに言われている怪奇現象が逆バミューダ現象――
 何十年も前に行方不明になった飛行機が、突然、空港に着陸するという話だ。そして、機体内は普通の状態ではなく、乗客全てが白骨化しているという事件。
 いたはずの人はどこに行き、消えたのか? この機は同じ現象の中にいる。
「やっぱりいない……」
 秀喜が目を見開いたまま呟く。僕も見た現実を脳裏から消し去ろうと扉を閉めた。
 ――が、僕の思いは次の瞬間、打ち砕かれた。
 誰もいないはずのトイレの中から、水が流れ出す音が響いたのだ。
「うわあああああああっ!」
 僕が後ずさりするより早く、秀喜が悲鳴をあげて逃げ出そうとした。
 別行動をするといけない。僕が秀喜を呼びとめようとすると、笹田と工藤が秀喜の腕を片方ずつつかみ取っていた。
 皆、わかってきたのだ。
 この機には『何か』がいる。その『何か』が、乗客を一人ずつ消している。別行動をすることが、逆に悲劇をもたらすであろうというのを。
 工藤が真剣な面持ちで、僕と笹田、秀喜を交互に見る。
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