契約結婚の終わらせかた




強く、腕を掴まれ引き上げられた。力任せの乱暴な行動にあっけに取られ、何度も目を瞬かせた。


(え……なぜ? どうしてここにいるの?)


だって……あなたは。私を置いてもう帰ったはずなのに。


パチン、と頬を軽く叩かれて我に返る。目の前に伊織さんの青みがかった瞳があった。


「正気になったか? さっさと行くぞ」


伊織さんがそう言った瞬間、再び近くで轟音が鳴り響いた。


近い!


「きゃああ!」


もはや恥も外聞もなかった。しゃがみ込んだまま伊織さんの腕にしがみつき、ガタガタ震える。この際、すがれるならなんだっていい。


「おまえ……」


呆れたような伊織さんの声も、近くなった落雷の音に消される。チッ、と舌打ちをした伊織さんは……。


バサッと自分のジャケットを私の身体にかけて、そのまま腕を背中に回してきた。


――伊織さんに、抱きしめられてる?


あまりに予想外の出来事に、私の頭は真っ白になった。


押しあてられた伊織さんの鼓動は、ほんのすこしだけ速くて。いつの間にか逞しい腕の中で安心してる自分がいた。


雨の薫りとシトラスの薫りが混じって……微かに彼の汗のにおい。きっと走ってきてくれたからだ。


でも、それが不思議と嫌じゃない。


あたたかい……。


涙がじんわりとにじみ出して、世界に膜を張る。今だけは、と少しだけ彼に体を寄せた。


春の嵐――私が、伊織さんのあたたかさに初めて触れた日だった。


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