ある王国の物語。『白銀の騎士と王女 』

59話、フリゲルン伯爵の秘密

「ねえ。そんなに泣かないでよ。可愛い目が腫れちゃうよ」

 馬車の中でレイモンドは向かいに座るエルティーナに、まるで友人感覚の軽い話し方で慰めてきた。

 後わずかしか残っていないアレンとの大切な時間を、壊しまくるレイモンドにエルティーナは最早敵意しかなく、泣きながら前方に優雅に腰掛けるレイモンドを睨みつけた。

「ちょっと、恐い顔して睨まないでよ。アレン様と離したのは悪かったよ。僕はね、エル様と大事な話がしたいんだ。アレン様がいたらさ、その話が終わるまでに僕きっと胴体から頭を切り離されている気がするんだよね〜
 冗談ぬきで。
 アレン様、見た目は天使だけど、中は猛獣だからね。命の危険が分かるから今日は一緒に来るのを止めてもらったの」

 まだエルティーナのブラウンの瞳からは大粒の涙が流れているが〝話〟というのが気になり、少し涙が止まった。

「私にお話しがあるのでしたら、王宮でも聞けたはず」

「だから、王宮にいたらアレン様がいるでしょ。僕とエル様を二人っきりにしない、絶対に。話をする為に、貴女とアレン様を離したかったの」

「分かったわ。話はきっちり聞きます」

「よろしくね」

 その会話を最後にエルティーナとレイモンドはお互い何も話さなかった。
 しばらく馬車は走っていた。日はまだ沈んでいない。
 馬車の窓から、美しい王都メルカの芸術的なモニュメントが並ぶ景色を見る事も出来たのに、今のエルティーナには大好きなそれを見る事さえも憂鬱としか思えなかった。


 王都メルカの中心部から少し離れたとこにフリゲルン伯爵家のお屋敷がある。

 エルティーナはレイモンドに手を添えられ馬車をおりる。たくさんの侍女や侍従が並んでおり、その前には執事長だろう男性が頭を下げて立っていた。皆、礼を尽くした文句無い姿だ。
 しかし何故かひしひしと敵意を感じる…。そう、いつも舞踏会で感じるエルティーナを憎む視線。フリゲルン伯爵家には初めて来るのだ。屋敷中の人からそんな視線で見られる理由が分からない。

 エルティーナはそれを感じないフリをし、仕方なく王女らしく、美しい所作で挨拶をした。

「エルティーナ様、ようこそおいで下さいました。はじめまして。私、フリゲルン伯爵家執事長、セルバンテスと申します。なんなりとお申し付け下さいませ」

 ずらっと並ぶ侍女や侍従の一番前に立っていた老紳士が頭を下げる。年の頃は五十から六十くらい。黒い髪に白髪がまじる髪を綺麗に撫でつけ、細身の長身。パリッとした姿は王宮に勤めるもの達に引けを取らない出で立ちである。
 とても安心できる。エルティーナにそう思わす執事長だった。


「こちらこそ、よろしくお願いします。晩餐会はとても楽しみにしております」

 エルティーナは、柔らかくセルバンテスに微笑んだ。

「じゃあ、エル様は着替えるんだよね。女の人は支度に時間がかかるから、僕はそれまで仕事をしてるよ」

「ねえ、レイモンド様。パトリック様は? どちらにいらっしゃっるの?」

「あぁ。ごめん、あれ嘘だから。パトリック殿はいないよ。
 あ〜でも言わないとアレン様は貴女から離れないからね。陛下には、貴女を連れて屋敷に行く事は話しているから安心して。無断で連れ出している訳じゃないから。
 そもそも、貴女に護衛なんて必要ないんだよ。考えてもわかるよね?
 エル様の王位継承権はないのと同じだ。レオン様がいて。クルト様、メフィス様がいる。王家の血筋はもう安定している。エリザベス様は健康的だし、まだ子供も望める。極め付けボルタージュ国は歴史ある大国だ。隣国とのつながりも別にたいして欲しいとは思わないでしょ。だから、エル様は今までのうのうと生きてきたんだよね? 違う??」

 分かっていた事でも、改めて言われると辛いし悔しい。
 エルティーナは下唇を噛み。冷静になるように心がける。レイモンド様の話は、どう考えても婚約期間を楽しむではなく、政治が絡んでいることを彷彿とさせていた。

(「ラズラ様の言う通り、レイモンド様は気をつけないといけない方ね…。初めてお会いした時は全く分からなかったわ。私は本当に世間知らずで馬鹿なのね……」)

「色々、教えて頂きありがとうございます。支度に参ります。えっと……どなたか手伝いを頼みたいのですが……」

 屋敷中の人と目が合わない。どうしても、あまり迎えられていない雰囲気な為、言いづらい。エルティーナが困っていると、聞き取りやすい澄んだ声が辺りに響く。

「エルティーナ様、直接お声をかけることお許しくださいませ。私はダルチェと申します。責任持って私がお手伝いを致します。短い間ですが、どうぞよろしくお願い致します」

 侍女や侍従が一気に顔を上げる。「お待ちください」と後方より言葉も聞こえる。

(「何なのかしら? この雰囲気? この女性に何かあるの??
 あるのね……たぶん。屋敷中の人がこの女性の味方って感じ。さながら私が悪女? かしら? レイモンド様の思い人とか?? 真っ直ぐで綺麗な人だわ。レイモンド様は嫌いだけど、ダルチェさんは好きな感じ」)

「うん、いいんじゃない? ダルチェがエル様の用意手伝ってあげて。エル様、ダルチェは何でも出来るからさ、たくさん我が儘を言うといいよ」

 レイモンド様が微笑みながら言うと、周りの空気が凍る。


 エルティーナは、ダルチェ、執事長セルバンテスと共に屋敷に入る。
 礼をして道をつくっているから、皆の顔は見えないが空気がとても重かった。

 フリゲルン伯爵の屋敷は、王宮ほどではないがとても素敵なお屋敷だった。宝石など高価なモノはほぼないが、品の良い花活けや、壺、タペストリー、絵画なと、美術品愛好家のエルティーナにとっては楽しい。

 エルティーナは美術品で気分が上がり、思考が冷静になる。先ほどの光景を思い出し、今からの自分のあり方を考える。

 ダルチェはレイモンド様の恋人で、やっぱり、当たりだろう。屋敷中公認の。それならエルティーナは悪女以外のなにものでもない。全く馬鹿馬鹿しい。
 それらを踏まえてレイモンド様に嫌悪感がわかない理由が分かった。兄やアレンと同じで、エルティーナを女として見ていない…興味がないのだ。でもエルティーナと結婚はしたい…何かある。
 そういう話だろうか? それならば当然アレンは怒るし、彼を離す意味も分かる。それくらいには、大事にされていると思うからだ。
 仮初めの妻でいい。本当は口付けも性行為もしたくない。レイモンドから求められないと分かってエルティーナは少し安心していた。

 エルティーナが脳内討論をしているとセルバンテスから声がかかる。


「エルティーナ様、こちらでございます。晩餐会まで、この部屋でお過ごし下さいませ。日当たりよく、庭園も眺められる部屋となっておりますので、ゆっくりとおくつろぎくださいませ」

「ええ。ありがとう、セルバンテス」

 エルティーナは出来るだけ優雅に見えるようにしていたが…やはりボロはすぐでた。エルティーナが優雅に見えたのは、部屋に入るまで……だった。


 通された部屋の中は、一面の空、空、空だ!天使! 天使! 天使!

「きゃぁぁぁぁあ!!! 何!? 何!? 素敵!!! 空なの!? 大空なの!? わぁぁぁ凄いわ凄いわ、絨毯は白?? 汚れないのかしら? 私、鳥になった気分! 嫌、天使よ!! あつかましいかしら(笑)きゃ。
 素敵な壁紙!! おぉぉぉ! なるほど、人の目線が合わない為に皆、後ろ姿なのね! なんて美しい翼なの!!!
 何これ、アレンの後ろ姿に似てるわ!! きゃぁぁ。この壁紙ほしい!!! きゃあわぁ天使になったみたい。大きな窓からは、緑が見えるのね!! 凄いわ。人間である事を忘れる設定かしら。最高ね!!!」


 ぽかーーーーーーん。

 執事長のセルバンテス。ダルチェ。荷物を運んでいた侍従四人。ダルチェと共にエルティーナの着替えてを手伝う為についてきた侍女二人。計八人は、エルティーナの変貌ぶりに唖然。

 エルティーナは本当に美しいものが大好きで、レオン曰く何かに憑かれているとしか思えないと言われる言動が〝これ〟であった。

 皆が唖然としていても、エルティーナは興奮していて全く気づいてない。口を問答無用で塞げるレオンがいないので、憑かれているエルティーナは野放し状態。

 ひとしきり感動して、アレンの後ろ姿にそっくりな天使の壁紙の前に行き、真っ白な絨毯の上にそのまま座る。


「綺麗……ツリバァ神ね……。美しいわ…本当にアレンみたい……」

 エルティーナのブラウンの瞳からはまた、涙が溢れる。

 美しい天使のようなエルティーナが天使を見て泣いている姿は、まるで神話の世界だった。エルティーナに羽根がなく会いにいけないのか。合わせてあげたい。
 そう思ってしまう情景だった。


「…エルティーナ様、絨毯がひいてあるとはいえ、地べたに座ると冷えますので、ソファーにお掛けくださいませ。お部屋…気に入って頂き嬉しく思います。あと……あまり泣くと目が腫れますわ」

 ダルチェはエルティーナの手をもって、ゆっくりと立たせてくれる。そして柔らかいハンカチで瞳から溢れている涙を優しく拭いてくれたのだった。

 そこでエルティーナは初めて我にかえる。

 やっぱり会いたい。早く王宮に戻りたい。アレンに会いたくて。ダルチェに手を引かれながら呟いてしまう。

「…アレンに会いたいわ。帰りたい、王宮に帰してほしい。アレンの側にいたいわ…」

 エルティーナの声を聞いてダルチェは優しく微笑む。

「晩餐会は、出来るだけ早く終わるようにしましょう。料理の数も減らして、早く王宮に帰りましょう」

 ダルチェの言葉がエルティーナには、天使のお告げに聞こえた。手の甲で乱暴に涙を拭って、ダルチェに笑ってみせる。

「はい! よろしくお願い致します!!」

 エルティーナの満面の笑みは、皆の心を鷲掴みにした。

「では。髪を整えて、軽くお化粧を直しましょうか」

 ダルチェの言葉でエルティーナは、違う提案する。

「ダルチェ様、晩餐会は出なくてもいいかしら。レイモンド様は私に話があると言っていたわ。この場で聞いては駄目かしら? 貴女がレイモンド様の恋人でしょ? すぐお話、つなげるのではなくて??」

 エルティーナの発言に皆が一斉に固まる。

「何をおっしゃっているか、わかりかねます」

「隠さなくても大丈夫よ。お屋敷の皆の態度を見たら分かるわ!! 心配しなくても、私はレイモンド様の事、これっぽっちも好きじゃないわ。
 お父様やお母様、お兄様や乳母を安心させる為、アレンを私のお守りから解放してあげる為に結婚するの。だから別にレイモンド様じゃなくても良かったの。
 だって、私が愛している人はアレンだけ。今までも これからもずっと。生涯変わらないわ」

 ダルチェに向かって宣言する。遠い人達だから、王宮に関わりを持てない人達には、さらっと思いを告げれる。エルティーナの本当の気持ちを。
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