ある王国の物語。『白銀の騎士と王女 』

58話、フリゲルン伯爵の誘い

「エル様。そんな見つめないでくださいませ。ドキドキと胸が高鳴りますので」

 どこまでも嘘くさいフリゲルン伯爵の言葉にエルティーナは至近距離でジーーーと顔を見る。


(「やっぱり…… どこかおかしいわ、レイモンド様は。どこかは分からないけど………」)

(「うん?? おかしいな?? ここまで密着していたら、アレン様が引き離しにくると思ったんだけど…?
 えーっと、アレン様はっと。あっ…目線をそらされた。あれっ?? 前に会った時と感じが違う。どこだろう……」)

「もう、レイモンド様、いい加減離してくださいませ」

 エルティーナはむぅっとしながら、レイモンドから距離をとる。

「あっすみません。あまりにもお会いしたくて、お会いしたくて、私はエル様に恋い焦がれているので」

 レイモンドは、爽やかな笑顔で吟遊詩人のような口説き文句を述べる。
 そして、空気の読めないキャスリンが二人の間に突入してくる。

「きゃー! きゃー!! 素敵!!! エルティーナ姫様の旦那様ですわね! 噂は聞いておりますわ! お初にお目にかかります。わたくし、ヒジカの妻のキャスリンと申します」

「こちらこそ、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。ジュンラ伯爵、キャスリン夫人、突然の乱入お許しくださいませ。エル様に会いたい一心で探し回っておりましたので、ご挨拶より先に、愛の抱擁をしてしまいました」

「まぁ!まぁ!!まぁ!!! まだ婚約期間ですのに、情熱的ですわ。 ねぇ旦那様!!」

「……あぁ そうだね。素敵だね」

 ヒジカは若干引きつりながらキャスリンに答える。常識的で積極的ではないヒジカには、フリゲルン伯爵のようなタイプは未知であり、穏やかで静かな息子達とあまりに違う為、大きく引いていた……。


「レイモンド様は、どのようなご用件でこちらにいらっしゃったのですか?」

 真正面からのぎゅうぎゅう密着はといたが、まだ馴れ馴れしく肩を抱いているレイモンドに、冷ややかな眼差しを送りながらエルティーナは疑問を投げつけた。

「エル様と婚約はしましたが、我が領地は王都から遠く離れますので、一度領地に戻るとエル様になかなか会えなくなります。
 長く領地をあけるのは不安なので、あと数日で戻るつもりです。
 その前にエル様を王都にある我が屋敷にお招きして、愛を語らい、二ヶ月後の建国記念の日にまで会えない時間を埋めたく思い、貴女を探していたのですよ」

「まぁ!まぁ!!まぁ!!! なんてロマンチックなの!!」

 エルティーナでない、キャスリンの歓喜の声が室内に響き渡る。

「レイモンド様。私、今日はダンスの練習がございます。ひと月ぶりでして、心待ちにしておりましたの。屋敷への訪問はなしという事で、よろしくお願いします。本当に申し訳ないです」

 淡々とまるで感情のこもらない声で、肩をいまだに抱いているレイモンドに言葉をかえした。

 肩を抱くレイモンドに嫌悪感は全くないが、あまり触れ合いたくない。エルティーナの扱いが命のない陶器の置き物か、よくて犬や馬 程度にしか感じられないからだ。

(「一緒に居ればいるほど、腹がたつわ……何故だか分からないけど……」)

 比べる人ではないが。エルティーナはどうしても、レイモンドとアレンを比べてしまう……。

 アレンはそんな貴方みたいに「あ〜手が疲れたから肩に置くのは丁度いい」という風に肩を抱かないわ!!
 されたことないから、本当のところは知らないけど……。
 でも…きっと触れるか触れないくらいに包み込むように、優しく真綿のように肩に触れてくれるのよ!!
 甘く優しく、言葉数は決して多くないけど行動で眼差しで温かく、先ずは相手を気遣いながら……。

 そうなのだエルティーナはそんなアレンが初めて会った時から大好きなのだ。
 とても優しく触れてくれる。力を入れず添えるだけ、自らが望む事は決してない。

 ないけど…十一年前の口付けだけは違った……。
 始めはエルティーナから無理やりの口付けだったが。しばらくするとアレンは柔らかくエルティーナを拘束してきた。冷んやりしたアレンの素肌はすごく気持ちが良かった。柔らかく冷たい唇の中には暑い舌があって、血の味がした…。

 アレンにあれをもう一度して。とは死んでも言えない。

 メルタージュ侯爵が乱入してきて、アレンとの甘い触れ合いは簡単に終わった。

(「メルタージュ侯爵がくるの……もう少し遅かったら良かったのにっ!! アレンの身体を触るのも、アレンが私の身体を触ってくるのも本当に気持ち良かったのにっ!!」)

 本音が出る。

(「あぁぁ……時間を巻き戻せる機械があればいいのに……そしたら、好きな時に何度もアレンと口付けが出来るんだわ」)

 誰にも言えない思い出に浸っていたエルティーナを、問答無用でレイモンドは現実に引き戻す。


「つれないことを。私がパートナーでは不服でしょうか? 是非、私もダンスの練習に参加させてくださいませ」

「まぁぁぁぁ!! 大賛成ですわ。お美しい二人の愛のダンスを目の当たりに出来るなんて、伴奏の腕がなりますわ!!」

「………では、よろしくお願いします、レイモンド様」

「楽しくなさそうだね? エル様?」

 耳もとで話すレイモンド。そして、微笑みながらレイモンドはエルティーナの唇のすぐ横の髪を一房とり、エルティーナと自身の瞳を合わせながら、ゆっくりと口付けをした。

 チュッ! リップ音が静かになった室内に響きわたる。

 全く甘くない。何一つ胸ときめかない行動に、エルティーナは口から出そうになる溜め息をひたすら押し殺した。

 レイモンドは髪に口付けをし、ゆっくりと身体を密着させてくる。たぷっとしたエルティーナの胸が押しつぶされ形が変わっていく、弾力を楽しむような好奇心が勝つ触れ合いは、まるで誰かに見せるようで……。

 楽しいダンスの時間が、あまり楽しくないダンスの時間に変わっていく……。


 エルティーナはせめて、とアレンの姿を探す。癒しを求めて……。

(「見るくらいなら、姿を見るくらいなら大丈夫だわ」)

 レイモンドの肩ごしからアレンの姿を見つける。エルティーナたちに興味がないのだろう……小さく礼をとりアレンは部屋から出ていく。

(「貴方は、視界に入れることも許してくれないのね……。
 ふふふ。分かっていたけど……アレンは本当に全く…私に興味がないのね……」)




 アレンは、華やかに笑い声があふれるダンスホールを静かに退出する。
 ダンスホールはもうアレンがいるべき場所ではなくなっているからだ。
 近い未来にはフリゲルン伯爵夫妻と呼ばれるようになるエルティーナとフリゲルン伯爵。ジュンラ伯爵夫妻。二組の夫妻の語らいにアレンは不要だ。

「(痛っ)……苦…し…い」
 分かっていても納得していても、胸が痛い。

「あんなに密着して抱き締める必要があるのか…? 挨拶するのに、口付けは必要か? エル様に触れていないと話せないのか?」

 フリゲルン伯爵は簡単にエルティーナに触れる……。
 真正面からの抱擁。挨拶の口付け。肩を抱き。ウエストに手を回し。髪にまた口付けをする。そして抱き締めながら踊る。

 アレンだけが呼ぶ。たった一つの特別な呼び名〝エル様〟でさえも、フリゲルン伯爵は簡単に当たり前のように奪っていく。
 そして半年後はエルティーナの純潔も奪う。

「あぁ……(病さえ無ければ)……」

 病さえなければ、と考えても無駄なことまで頭をよぎる。でもその病があったからこそ、エルティーナに出会い恋に落ちたのだ。

「ふっ、……宦官になった暁には、エル様を真正面から思いきり抱き締めたい。柔らかい身体を身体中で感じたい……男ではないのだから、フリゲルン伯爵も許してくれるだろう」

 声にならないアレンの独白は彼自身の心を蝕んでいく。

「…エル様…(貴女に…触れたい)」

 アレンは自分だけが知るエルティーナの姿を思い描きながら、壁に寄りかかる。
 愛しいエルティーナが自分の側に戻るときを想像し、次に瞳に写すのはエルティーナでありたいと思い……宝石のように美しいアメジストの瞳をゆっくりと閉じていった。


「流石、エルティーナ様。練習は本当に必要ございませんな」

「ありがとうございます。ジュンラ伯爵。でも最初はしっかりと音にのれておりませんでしたわ。ジュンラ伯爵の教え通りにステップを変えたら、上手く出来ました!!キャスリン様。本当にピアノが上手いです。趣味の域ではございません!! 驚きましたわ!!」

「まぁ! 姫様にそのように言って頂き、大変嬉しく思います」

「エルティーナ様、今日はここまでに致しましょう。足は大丈夫でしょうか? 問題ないようであれば、また一週間後という事に致しましょう」

「はい。足は問題ありません。また、一週間後お会いできることを楽しみにしております。キャスリン様も、もしお暇でしたら、ジュンラ伯爵と一緒に来ていただけませんか? また、お会いしたいので」

「妻と一緒でもよろしいのでしょうか? エルティーナ様」
「もちろんです」
「ありがたき幸せ」

 ジュンラ伯爵、キャスリン夫人はエルティーナに正式な礼を取り頭を下げた。それを受け、エルティーナも礼を返しこの部屋を退出しようとした。

 早くアレンに会いたいのだ。アレンとの別れまで、後ひと月。出来るだけ一緒に居たい、瞳の中に美しい彼の姿をいれたい。気持ちは早るのに、レイモンドはそんなエルティーナを遮る。
 エルティーナにとって不快でしかなかった。

「レイモンド様、退出いたしますので、掴んでいる肩を外して下さいませ」

「エル様、ダンスの練習は終了致しました。次は、私との時間にございます。陛下にも許可は頂いております。本日の晩餐は我が屋敷で召し上がって下さいませ。
 申し訳ございませんが、これは決定事項でございます」

 反論できないレイモンドの言葉は、悪意にしか思えない。国王に許可を取られたら、エルティーナはもう何も言えない。言えなくなる。
 レイモンドを睨みつけ「かしこまりました」ただそれだけを伝えた。

 エルティーナの一応の了承を聞き。レイモンドはふわっと笑う。仮面を貼り付けたような笑顔は薄ら寒い。エルティーナが彼をそう評価していたら、レイモンドは颯爽とドアに向かい歩いていく。扉を開いて待っている衛兵を無視し部屋を出る。

「そういう事ですので、アレン様。
 今からエル様は、我が屋敷に招待致します。護衛とはいえ、私をはるかに上回る爵位と身分をお持ちの貴方に一緒に来て頂く事はできません。
 陛下にもそのようにお伝え致しましたところ、レオン殿下の部下である、パトリック殿をエル様の護衛として派遣頂けるとの事です。エル様の晩餐の着替えも馬車に準備しておりますので、このまま出発致します」

「えっ!? レイモンド様、待ってください!! 私の意見を聞いてはくださらないのですか? 」

「エル様、私は陛下にもレオン殿下にも許可を頂いております。貴女の意見は必要でしょうか。違いますか?」

「違わないわ。本当に何も言い返せない…」やるせない思いは怒りとなってエルティーナの内を燃やす。

(「どうしてアレンと引き離すの。貴方は私を好きではない。出会うのは半年先でいいのでは。その後は好きにしたらいいわ!
 貴方の望み通りのフリゲルン伯爵夫人になります。だから奪わないで、アレンとの大切な時間を。貴方は悪魔よ!!」)
 レイモンドがエルティーナをエスコートするべく腕を出してくる。掴みたくないと思いアレンを見ると。

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
 と……文句のつけようもない綺麗な礼を取り頭を下げるアレンが瞳に映る。

 エルティーナは唇を噛み締め、レイモンドの出された腕をとる。どんどん広がるアレンとの隙間。
 歩きながら、エルティーナは涙を流す。アレンが側にいないんだ。涙を隠す必要もない。
 馬車に乗り込むまで、レイモンドとは一言も話さなかった。
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