ある王国の物語。『白銀の騎士と王女 』
舞台が終わり、ティーナの日常は戻ってきた。宝物になるはずだった白銀の騎士様との大切な甘い触れ合いは、ティーナには訪れなかった。
「……ティーナ、お客様がお待ちだ…いきなさい」
支配人シモンの心配げな声が朝のミダの室内に響く。
「行きません。知りません。忙しいので」
「ティーナ……」
ケイが服を引っ張り呼んでくる。でもティーナはそれを無視し、皿を片付けに行こうとする。そして新たなティーナを呼ぶ声が…。
甘く優しいこの声を今、一番聞きたくない。悔しくて、腹立たしくて、鼻の奥が痛くなる。泣きそうになるのを堪えながら、甘い声の人を無視する。
「ティーナ様、昨日の事は申し訳ございません」
「何が申し訳ございません。なんですか!? その呼び方も止めて下さいって言いましたよね!?」
顔を見ようともせず、ヴィルヘルムから離れようとするティーナに思わず手を伸ばしてしまう。
柔らかな腕に触れるだけでヴィルヘルムの気持ちは喜びで満たされる。しかし、それはティーナの泣き声でかき消された。
「離して下さい!! どうして邪魔ばかりするんですか!?」
ここはミダの店内。朝の時間帯、お客様も多い。スタッフも全員いる。そう分かっていても、叫んでしまう。
ティーナのたった一つの楽しみを奪った。やっと、やっと、白銀の騎士様と口付けができるはずだったのに。 初めて大好きな人と口付けができるはずだったのに。返して、返して、返して!!! ティーナの悲しさは怒りに変わっていく。
「ティーナ様、私は………」
この後に及んでまだ〝ティーナ様〟呼びをするこの黒髪の男の人に、ティーナは爆発する。
「ふざけないで!! 帰って!! 貴方の顔は見たくない!! 嫌いよ、大嫌い!!! やっと、夢が叶うはずだったのに!! 白銀の騎士様との口付け、本当に夢だったのに!!!
……ずっと、ずっと、遊びでいいって思ってた!! たくさんいる恋人との中を引き裂こうなんて思ってないのよ!! ただ、キスがしたいだけ、それ以上は何も望んでないのに。貴方はそれを奪った! 返して! 返して!! 返してよ!!! 私の夢を返して!!!」
ミダの店内は静まり返っている。
ティーナの明るい笑顔に優しい気遣いに、癒しを求めて朝から訪れていた常連客も、初めて見るティーナの怒りを込めた叫び声に呆然としている。
勿論ティーナを注意すべき支配人シモンもケイも、サンダー達他の従業員も皆、呆然。
ティーナのこの言葉には、ヴィルヘルムも黙っていられない。あの舞台に立っていた男は只の人。ティーナが望んでいる白銀の騎士ではない。
好きな男がいるなら、応援するつもりだったし、ティーナが喜びそうな贈り物をして身を引くつもりだった。
(「だが、あれはない!! 白銀の騎士は私だし、何故私がいるのにあの男と口付けをする!? 冗談じゃない!!」)
「ティーナ様、あの男は白銀の騎士ではない。舞台に立っているだけのただの男だ。似ても似つかない。白銀の騎士の生まれ変わりは…」
ヴィルヘルムの台詞は最後まで言えなかった。
「知ってるわよ!! 白銀の騎士様の生まれ変わりはヴィルヘルム王子様でしょう!? 馬鹿にしないで!! で、その王子様は、ホルメン国の王女様と結婚するんでしょ!! 何がいいたいのよ!! 本物がどうかじゃないの!!
……偽物でもいいの、思い出を取らないで。本当じゃないから幸せなの……あのお話は全て嘘だもの……あんな風に、愛してもらった事なんてなかった……。ダンスを踊って、抱き合って、口付けをして、愛を囁いてもらって、同じベットで朝…目が覚める。
全部〝嘘〟だから幸せなのよ……素敵な〝嘘〟を奪わないで……」
「……ティーナ……?……」
皆が疑問に思う。前半は分かるが、後半は意味が分からない。気でも触れたかと思っていたら。
目の前のあり得ない光景に、接客のスペシャリストであるミダのスタッフ全員がトレイを落とす。
痴話喧嘩にしては重く感じる二人の動向を、食事をせずに見ていたミダのお客様達も、持っていたスプーンやらフォークを落とす。飲んでいたジュースを口からこぼす人もいた……。
(「嘘じゃない、実際は触れてない。だが、想像はしていた!! 私は、いつもエル様だけを見てきた!!」)
ヴィルヘルムはティーナの目の前で、黒い鬘を取り、樹脂で作られたマスクも顔から剥がす。
黒く重い鬘の中からは、朝の光をもっともっと眩しく美しくした、輝くような黄金の髪が背中に流れる。
人の皮膚そっくりのゴツゴツとしたマスクの下には、教会の壁画に描かれた神様のごとく美しい顔面が現れる。
黄金に波打つ髪、神がかった美貌、鍛え上げられた肉体は美術彫像のような姿。全員の時を止めた美しい人は、とても苦しそうで。
最上級の輝きを秘めるエメラルドの瞳は、懇願するようにティーナを見つめている。
「白銀の騎士は私です。今も昔も私は貴女だけを愛している。私は貴女だけの騎士だ。私を思いながら、違う男と口付けをしないでほしい。
あの物語も……嘘じゃない。病が理由で貴女には触れなかったが、あの物語のようにいつも想像はしていた……。
メルタージュ家の屋敷で出会った時から、ベットの上で吐血する私を優しく抱きしめてくれたあの時から、私は貴女を一人の女性として愛している。
貴女に……エル様に会うためだけに私は騎士になったのです……」
ヴィルヘルムの心からの叫びは、ティーナの心を揺さぶり、遠い魂の記憶を蘇らせる。
心を揺さぶられたティーナの瞳には、涙が溢れ続ける。
呆然としながら、目の前の美しい人を見て、何故かティーナの口から出た言葉は。
「アレン…の……馬鹿………」
ティーナは机に押し倒される。
身体中で抱きしめられ、美しい人からは何度も何度も「エル様……」と聞こえる。
私の名前ではないのに、ティーナと呼ばれるより嬉しくて、その呼び名を聞くたび、美しく切ない記憶に色がつき甘く蘇る。
メルタージュ家のお屋敷。
隠し通路を通って出た先で出会った美しい天使の男の子。
大好きな庭園で運命の再会を果たして、私だけの護衛騎士になった。
甘く切ない時を過ごして。
遊びでいいの、口付けをしてほしい。
お父様にも、お母様にも、お兄様にも、言わないから。
遊びでいいの、抱いてほしい。
分かった。もう言わないから…せめて、貴方とダンスを踊りたい。
嫌いにならないで。もう我が儘は言わないから。
たくさん泣いて、たくさん笑った、初めての友達が出来て。
アレンを想いヘアージュエリーを作った。
今世で無理でも、来世では私を好きになってほしいと願って………。
殺されたあの夜。
アレンから貰ったミダのチョコレート。我慢しないで食べれば良かったわ…。って最後まで、後悔したの…。
(「あんなに長く一緒にいたのに、こんなふうに抱きしめられたのは初めてだわ」)
「……お屋敷で会った事、覚えてたのに。忘れていた振りをした罰よ……ミダのチョコレート全部買ってくれたら、許してあげるわ、アレン!!」
「……エル様、勿論です。ただ、一度にたくさん食べると身体に悪いので。ひと齧りづつ、口にしたら如何でしょうか? 残りは私が食べますのでご安心を」
「…アレンに私の食べ掛けを渡すなんて、行儀悪いし……汚いわ…齧ったらその…チョコレートに…唾液がつくし。それをアレンが食べる必要はないわよ……」
「…エル様。唾液は別に汚くはないです。口付けをしたら普通に付きますし」
「ふふふっ……アレン、変わってないわ」
「エル様も……」
二人は笑い合い、自然に唇は重なる。
「口付けって柔らかいのね……とっても甘いわ…」ティーナの感想は口付けに飲み込まれる。ヴィルヘルムは角度をかえて唇の柔らかさを堪能し、舌を優しく絡ます。
室内には二人の口付けの甘い水音が響きわたっている。
「「「「「「えっと…」」」」」」
段々濃厚になる口付けを。今にも次の段階に行きそうな二人を、何処で止めたらいいのか……目線は外すのか?? 嫌、超絶麗しいし見ていいのか??
皆の問題を解決する。二人の濃厚なラブシーンをブチ破る救世主が店内に入ってくる。
「失礼します。えっと…我が主は………。
ギャァーーーーーァーーー、ヴィルヘルム様、何をしているんですか!?
嫌ぁーーー待って下さい、ストップ ストップ!! 我慢出来ないからって、襲っちゃダメです!! いくら貴方でも、犯罪ですよ! 犯罪!!」
「……ラメール。煩い」
「ティーナ様!!! 大丈夫ですか??」
「……えっと…あっ お客様…ぁ…」トロンとした顔と声でラメールに返事をするティーナに絶句。
「………分かりました。色々聞きたい事はありますが、一先ずは王宮に帰りますよ。ティーナ様も一緒で構わないですから。支配人、ティーナ様をしばし借ります。馬の用意もしております。ヴィルヘルム様、さっさと動いて下さい」
呆れかえったラメールにヴィルヘルムは涼しげに返答する。
「馬では帰れない」
「はぁ!? ヴィルヘルム様、馬鹿言わないで下さい!!」
「がっつり下半身が反応しているから、この状態では馬には乗れない」
神がかった彫刻のように麗しい美貌の、伝説の白銀の騎士の生まれ変わりの王子様が放つ、男を感じる生々しい発言は。
ミダの支配人、ミダのスタッフ、ミダにいるお客様、ラメール、そしてティーナを真っ赤に爆発させる。
「……くっ…分かりました!! 馬車を用意しますから、一先ず離れて下さい。あなた達、ここでおっ始めるつもりですか!?」
「ラメール、煩い」
真っ赤になりながらも、ティーナは嬉しくて堪らない。大好きなアレンと早く…と思うけど、それを悟られたくなくて。誤魔化す為にヴィルヘルムに向かって意地悪を言う。
「………アレンの…エッチ」
「気づくのが遅いですよ、エル様。レオンにも言われましたが…私は変態です。今更です。いつもエル様を見ては、貴女には言えないような事を、ずっと考えておりましたから。やっと貴女を抱けるんです。初めてお会いした時の続きを……したいです」
「ふふふっ、アレンが開き直ってるわ……生まれ変わってもアレンは美しいわね……目がチカチカするわ!!
大好きなアレンと大好きなお兄様を足した感じ!! 何を言われても嫌な気がしないわ………不思議ね。
………アレン……………。
私、今でも最期の時を夢に見るのよ。……襲われる夢。早くアレンに上書きしてほしいわ……恐くて堪らないの。いつもその夢を見た次の日は吐き気が止まらなくて……早く私をアレンでいっぱいにしてほしい。もう、あの夢を見ないくらいに………」
ヴィルヘルムの苦しそうな顔を見て、ティーナは頑張って微笑む。
「エル様……お守りできなく、申し訳ございませんでした……」
「ううん。それはいいの、それは仕方ないもの。今からたくさん愛してくれたらいいわ!! アレン、大好き!!
っとじゃなくて、ヴィルヘルム様だったわねっ」
「アレンと呼んで下さい。そう私を呼ぶのは、貴女だけですので……」
「分かったわ! ではアレンも私の事はティーナ様じゃなくて、エル様って呼んでね!!」
ティーナは満面の笑みでヴィルヘルムに抱きつく。好きな人に抱きつける喜びを噛みしめながら………。
ヴィルヘルムは腕の中にティーナを囲い込み、その柔らかい身体を全身で感じる……。
長い時を繋ぎ。その紡がれた思いはヘアージュエリーの導きで……。
二人の〝恋〟は今やっと、始まるのだ。
「………エル様、愛しております。……今までも、そしてこれからも、永遠に……貴女だけを………」
二人は見つめ合い、もう一度ゆっくりと唇を合わせた。