【お題・お菓子掌編集】ふるーつ・ぐみ
3.幸せのかたち
『お題:クッキー』

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 夕陽が街路樹を紅色に染めている。『家路』のタイトルもある『遠き山に日は落ちて』が、帰宅を促すように鳴りはじめた。
 歩きながら、なぜ、こんな展開になってしまったのだろうかと亮輔は考える。
 明日は日曜日。本来なら自室にこもって携帯ゲームの液晶画面を睨みつけながら、仲間のレベルアップに励んでいたはずだ。
 それなのに母親ときたら「あんたはあの子の三歳も年上なんだから、面倒を見てあげなさい」と言う。
 はじまりは数分前の電話だった。ナンバーディスプレイなのですぐに誰かわかった。隣のおしゃまさんに間違いない。
 受話器を耳にあてたら、悲鳴のような声が鼓膜を貫いた。
「亮輔お兄ちゃん。すぐきて、お父さんが帰ってきちゃう!」
 続けざまに炸裂したのが、こちらに聞くスキを与えないマシンガントークだ。
 しばらく聞くうちに、どうやら両親に内緒でクッキーをつくっているらしいとわかった。
 隣のおしゃまさんは幼稚園児だ。なので、出来あがったお菓子の見た目はというと粘土細工にちかい。おまけに不器用だ。
「ウサギさんつくった」と胸を張って渡されたクッキーが、どうやってもクマにしか見えなかった覚えがある。
 ついでにおいしくつくろうとしてなのか、思いがけない材料を多く入れたりする。この前はベーキングパウダーの入れすぎで、ソーダークッキーになるという奇跡が起きていた。
 クッキーは無事に出来あがるのだろうか。そんな不安を母親に言った時点で終わりだった。冷静になれば「面倒を見てあげなさい」と言われるとわかったはずだ。
 何で言ってしまったのだろう。今となっては後悔しかない。
 あちらの両親は、おしゃまさんが秘密でクッキー制作中というのは、了解しているのだろう。型抜きだけなら火を使わないので、子供ひとりでも安心だからだ。
 玄関前に立った亮輔は、重い息をついてから呼び鈴を鳴らした。すぐにエプロン姿のおしゃまさんが出てくる。問答無用に亮輔は部屋へと押しこまれた。
「明日はね。お父さんとお母さんが一緒になった日なんだよ。だから、秘密のプレゼントを考えたんだ」
 待ちわびていたというところなのだろう。おしゃまさんは、興奮したように息を切らしていた。
 亮輔は「多分、秘密にはなっていないぞ」と、言いかけたがやめた。一緒になった日というと、結婚記念日とかいうやつだ。そう結論づけてテーブルの上を見る。
 プレーン生地だけでなく、茶、緑、ピンクの生地まであった。これは幼稚園児には無理だ。母親につくってもらったに違いない。
「抹茶って苦いから嫌いなんだよな……それに、ハートに緑って変じゃないか?」
 完全にばれているに決まっているのだが、相手は秘密のままだと信じている。亮輔は付き合ってやることにした。まず、服が汚れないように腕まくりをする。
「で? 何すればいい?」
「その型で、たくさんのハートをつくって。こっちは違うことするんだ」
 言っておしゃまさんは、生地をちぎると創作をはじめた。両親の顔をかたどったクッキーをつくるつもりらしい。
 不器用なのによくやるなと、亮輔は変に感心したりする。
 視線をテーブルにうつすと、既に完成したハートだらけだった。これだけあって食べきれるのだろうか。思わず亮輔は訊いた。
「なあ、これ多すぎるだろ。きっと全部食べきれないぞ」
「みんなにもあげるんだもん。亮輔お兄ちゃんのお父さん、お母さん、おばあちゃん、お兄ちゃんたちにも。ハートがいっぱいあると幸せになるんだよ。知ってた?」
「お前さ。お父さんとお母さんが一緒になった日の意味って知ってる?」
「幸せな日!」
 屈託のない笑顔を向けられて、亮輔はあきらめた。もう何も言わないでおこう。
 母親に「面倒を見てあげなさい」と言われた手前、付き合うしかないのでハートづくりに専念する。
 おしゃまさんは、春から亮輔と同じ小学校に通うことになっている。本来なら一緒に登校するべきなのだろうが、亮輔はそれが嫌だった。同級生にからかわれるのが目に見えているからだ。
 母親の「面倒を見てあげなさい」の意味は、そこにあるのだろうと亮輔は思う。
 仲良くしてくれればあるいは――と考えたのかもしれない。それでも、一緒の登校だけは回避してやると決めていた。
 創作開始から三十分ほどが経過したところで、むこうは完成したようだった。亮輔がつくったハートも置き場がないほど大量に仕上がった。
 見ると、おしゃまさんの顔は粉だらけになっている。それなのに、
「亮輔お兄ちゃん、お顔粉だらけ!」
 と言って、笑った。
「鏡見てみろよ。お前も真っ白だぞ」
 言い返すが、このおしゃまさん、少しもへこたれる様子がない。
「もっと真っ白にするんだもんねー」
 はしゃいで、顔を舞妓さん状態に変えてしまう。
 そこはおしゃまさんでも幼稚園児だ。手がかかる。亮輔は手拭きように置いていたタオルを取ると、自分の顔を拭くついでに拭いてやった。
「だから、亮輔お兄ちゃんのこと好き」
 拭ききった途端、思いがけないことを言ってきた。
 幼稚園児だ。本気であるはずがないのだろうけども……。
 こんな展開、アニメや漫画で見たことがあるなと亮輔は考える。
 ――あれだ。「じゃあ、大きくなったら結婚しようか」って答えた十数年後、忘れていた頃になって「あの日、約束したじゃない」と迫られる話だ。
 亮輔は聞こえないふりをした。おしゃまさんも気にしていないのか、仕上がったハートを分けはじめている。
 なぜか、ハートのクッキーは色ごとに四個組で分けられた。何をしようというのだろうか。首を傾げながら観察していた亮輔は次の瞬間、声をあげかけた。
「ほらね。ハートを四つ並べたら、幸せのかたちになるんだよ」
 おしゃまさんは、得意そうな笑顔を浮かべて胸を張る。一つのハートが一枚の葉に見立てられ、四つ葉のクローバーになっていたのだ。
 春に青々とした葉をジュータンのように広げるシロツメクサの野原が、テーブルいっぱいに広がっていた。
「ハートがいっぱいあると、幸せのクローバーがたくさん出来るんだよ。焼き上がったら、亮輔お兄ちゃんにも、みんなにも渡しにいくね」
 ハートに緑は変だと思っていたが、四つ葉になると違和感がない。苦いから嫌い――そんな考えも、愛らしいかたちになると吹き飛んでしまう。
「今日は亮輔お兄ちゃんと一緒にクッキーつくるって決めた日だから、秘密のクッキーも焼いたんだ」
 亮輔は思わぬ話を聞いて、自分でも驚くほど高い声で「えっ」と問い返してしまった。
 箱の中に収められているであろうクッキーは、おしゃまさんの手で出されて亮輔の前に置かれた。秘密のクッキーだといっていたのに、当人は公開する気満々なのか蓋に手をかける。
「あっ……」
 中身を見て、亮輔は再び声をあげた。
 箱の中には三つのクッキーがあった。自分とおしゃまさんをかたどったものと、その間には大きなハートがあった。
 似顔絵クッキーはお世辞でも上手だとは言えない。それでも苦労しただろうなと思った。世界で一つだけのクッキーだ。そして、箱の中の二人は大きな口を開けて笑っていた。
 亮輔が褒めようとすると、おしゃまさんはハートのクッキーを取り出して半分に割っていた。
 何でこの場で割るんだよ。と言いかけたが、割った半分を渡されて言うのをやめた。
「本当は、おうちで見てもらおうかなって思ったけどやめたんだ。お兄ちゃんと一緒に食べるほうがおいしいはずだもん。けど、お顔のクッキーは持って帰ってね」
 おしゃまさんの手で包装される自分クッキーを見ながら、亮輔は渡されたクッキーを口に入れる。
 入れた途端、甘酸っぱい優しい味が口の中に広がった。プレーンだと思っていたクッキーにピュレが加えられていたことに気づいた。
 初恋の味って聞いたことあるな……。
 幼稚園児だから知らないに決まっているが、それは今までで食べたクッキーの中で一番おいしく感じた。きっと市販品よりも、有名クッキー店のものよりもおいしい。
 一緒に食べるクッキーがおいしくって、しかも幸せのかたちだなんて、なんだか嬉しい気持ちになる。
「四つ葉のハートはお父さんとお母さん。もうひとつが私で……あとは赤ちゃんなんだよ」
 亮輔はおしゃまさんの話を聞いて驚いた。弟か妹が生まれるんだ――はじめて知った。
 まるでその時を狙っていたかのように呼び鈴が鳴った。
 おしゃまさんの両親が帰ってきたのだ。クッキーも仕上がったことだしと思って、亮輔は立ち上がった。
 渡された似顔絵クッキーを手に玄関へと向かう。おしゃまさんの両親に「お邪魔しました」と言うと、父親から「これ持って行って」とイチゴのパックを手渡された。
 四つ葉、イチゴと春を思わせる取り合わせを見て、亮輔は心が和んだ。
 ハートの数はきっと愛の数だ。いっぱい集まれば幸せのクローバーになる。
 携帯ゲーム機を手にレベル上げ……そんな時間を我慢して、違うことに費やすのも悪くない。
 亮輔はおしゃまさんに顔を向けると、軽く手を振ってから言った。
「春になったら、一緒に小学校に通おうな。あと、次の似顔絵クッキーはもうひとつ多くつくらなきゃ駄目だぞ」
 お祝いの言葉のつもりだったのに、おしゃまさんと両親が顔を見合わせた。
 あっ、そういえば秘密のプレゼントって言っていたんだっけ。
 後になって気づいて亮輔は慌てた。ごまかすために、もう一度「お邪魔しました」と告げて外に出る。
 きっと大丈夫。ばれなかったはずと自分に言い聞かせると、おしゃまさんの声が聞こえた。
「だから、亮輔お兄ちゃん。大好き!」
 好きが大好きに変わったのは、好感度があがった証拠だ。
 しばらく、渡された似顔絵クッキーは、もったいなくて食べられないはず――。
 亮輔はそんなことを考えながら、クッキーが焼きあがる明日が楽しみになって駆けていた。
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