【お題・お菓子掌編集】ふるーつ・ぐみ
4.カラメルカラー
『お題:プリン』

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆

 イチョウ並木は冬支度をはじめて、甘そうなカスタード色に染まっている。そして道を隔てて見えるのは、超がつくほど人気のスイーツ店だ。
 私はベンチに腰掛けながら、牛乳瓶のプリン片手に甘い香りと味を堪能していた。プリン待ちで並んでいるお客を見ると、意地の悪い女と思うと同時に格別な勝利の味も楽しめてしまう。
 残りは半分。一口、二口……もう少しで終わりかという名残惜しい気持ちになった時、
「ごめん、待ったか?」
 私は背後からかけられた声に驚いて振り返った。
 声の主は、亮太先輩だ。正面からこないのは、いつもの先輩のいたずら癖。手には二つのビニール袋がある。あの行列の一員になっていたに違いなかった。
「思った以上に講習に時間をとられちゃってさ。なんだ、もう食べていたのか。それにしてもよく外で甘いもの食べられるな」
 先輩は、子供のような無邪気な笑顔を浮かべながら言う。
 そういえば、外で菓子パン食べるのなら抵抗ないけど甘いものはちょっと……と言っていた覚えがある。
「そうかな? 菓子パンのほうが、外で食べるのは抵抗あるけど……」
「菓子パンは時間がないから外で食べるって理由があるだろ。甘いものは外で食べる理由がよくわからない」
「美味しいものって、人の前で食べるから美味しく感じたりとか、そんなことない?」
 女の感覚と男の感覚って少し違うのかもしれない。
 男脳と女脳って聞いたことがある。左脳と右脳を繋ぐ脳しょうは女の方が大きいらしい。そして、左脳は主に言語を司り、右脳は想像を司る。
 だから男性は左脳をフル回転して理論で会話する。女性は左脳と右脳を働かせて感情で会話をする。
 万人にはあてはまらないと言うけれど、私と先輩の感覚の違いはそこにあるのかもしれない。
 先輩は隣に座った。袋の中にあるのは私が食べていたカスタードプリンとは違う。二番人気のカラメルソースも入ったプリンだ。
「一番人気じゃないんだ。せっかく並んだんだから、買えばいいのに」
「そうか? 俺、甘すぎるの嫌いだし……それに世話になっているお隣さんに買ったのは、一番人気!」
 言いながら、先輩は缶コーヒーを手渡してくれた。お礼を言って受け取ろうとした途端、最後の一口の入ったプリンを取られる。
「あっ、ちょっと。甘すぎるのは嫌いって言ったのに!」
「このプリンだけは別」
 よくわからない理由を言って、先輩は最後の一口を口の中に入れた。
 私と先輩が付き合い始めたのは、一か月前。
 私がサッカー部の先輩に憧れて、マネージャーになったのが切っ掛けだった。私は高校一年生。先輩は三年生。三年生は夏の大会を終えると引退する。
 中学生の頃から先輩が好きで、自然と目で追いかけていた。高校に入学してもその想いは変わらなかった。
 そんな先輩と、卒業と同時に逢えなくなるのではと考えると、苦しくて苦しくて……
 思いきって告白すべきか悩んでいたら、逆に呼び出された。
 以心伝心ってきっとあると思う。そんなおとぎ話のような現実が、先輩の口から私に数文字で伝えられた。
 答えに選択なんて考えられなかった。世界が霞んだ。口よりも先に目が応えてしまった。帰り道は逆なのに、一緒に帰ってくれたあの時間は宝物だ。
「あのさ……」
 プリンを食べきった先輩が、真剣な表情で私を見た。思わず、コーヒーを持った手の動きをとめてしまう。
「受験に集中することになるから、あまり逢えなくなると思うんだ」
 紡ぎ出された言葉。それは、想像したくもない現実だった。
 そうだ。先輩は受験があるんだった。
「そっか……」
 そこで一分一時間考えても、同じ答えしか出せないと思う。先輩も私の気持ちを敏感に捉えたようだった。
「長男だし、弟たちのためにも浪人だけは避けないと。それにどうしても行きたい大学だし……」
「うん、わかってる。亮太が合格するまでは、お互い逢うのは我慢だね」
 精一杯の強がり。本当は逢いたいくせに……心の中の自分に言ってやった。
「メールもするし、電話も時間があればするし」
 先輩が必死に説明を始める。私は、先輩の話を立ち上がることで遮った。
「大丈夫、私のことは心配しないで。それよりも今は合格に向けて集中しないと!」
「そうだな。サンキュー」
 お互い右拳を出してぶつけ合う。うちのサッカー部の伝統的な試合前の行動だ。
 絶対勝ってねと、試合開始と同じ気持ちで、先輩の背中を見送った。

 先輩の第一志望は国立大学。三人兄弟の長男である先輩は必死のはずだった。
 あの後、電話は三日連続でかかってきた。けれど、次はメールへと変わっていって――次第に私からメールをするようになった。それでも遠慮というものがある。
 今は大事な時期、邪魔しちゃいけない。夜、携帯電話を触る時間も減っていった。
 カスタード色のイチョウの葉が季節とともに重なっていくのと同じように、私の寂しさも募っていく。いつも一緒に歩いていた帰り道を、一人で歩く日が続いた。
 そんな時、あの人気店の行列が目に入った。
 あれだけ好きで食べていたのに、私は先輩と逢えないことで忘れてしまっていたんだ。
 エプロン姿のお姉さんが出てきて「限定百個でーす」と言っている。まるで甘味の神様が背中を押してくれているかのように、お客さんの数も少なかった。
 神様の厚意に甘えて、いつものように並んで順番を待った。少しずつ進んでいく列。店内に入ると一番人気のプリンが残っていた。
 けれど何故か、一番人気のプリンを頼む気はしなかった。
 きっと、先輩の言葉を思い出したからだ。「俺、甘すぎるのは嫌いだし」
「そのカラメルソースの入ったプリンを一つください」
 常連でもあった私の顔を覚えていてくれたのか、店員さんが驚いた表情を見せる。しかも一つだなんて、風変わりな客と思われたのかもしれない。
 たった一つのプリンを受け取ると、いつものベンチへ行く。
 座るとつい、振り返ってしまった。意識的にした行動だけど、馬鹿だな私と考えてしまう。
 プリンの蓋を開けて一口。変わらない甘い味が口の中に広がった。今度は少しだけカラメルソースも一緒にすくってみる。
 一口食べた瞬間、先程とは違う味に驚かされた。そこで私は気づいた。
 私は甘い時間を求め続けて、人生の苦い時間からも逃げていたんだ。このプリンと同じ。甘いカスタードと苦いカラメルソースが私の今の気持ちを表わしている。
 苦味があるからこそ甘さは引き立ち、人生も苦しさがあるからこそ甘い時間を強く感じることが出来る。
「先輩に逢えなくなったことで、こんなにも逢っていた時間が愛おしく感じるなんて」
 今は、甘いカスタードを食べ続けたい気分だ。一口二口……けれど最後に残るのは、ちょっと苦いカラメルソースだけ。
 目の前のカスタード色のイチョウの葉が、風に舞って飛んでいく。
 なんだか悲しくなってきた。すごく先輩に逢いたい。けれど勉強の邪魔をしちゃ駄目だ。相反する気持ちの中で、無意識のうちに涙がこぼれ落ちてくる。
 その時だ。突然、目の前が真っ暗になった。温かい手が瞳に当てられているのを感じる。
「だーれだ?」
 私の背後から声を掛けてくる男の人なんて一人しかいない。答えることもなく振り返る。私は亮太先輩の顔が視界に入るよりも先に抱き付いた。
 苦いカラメルソースの時間はもういらない。カスタードの甘い時間だけを今は楽しんでいたい。
 先輩の温かい手が私の頭に置かれる。しばらく感じていなかった優しい体温。不意にカサリという音がして、先輩がプリンを手渡してきた。
「俺さ、なんか一番人気のプリンにもハマっちゃったんだよな」
 離れていたはずなのに、考えていたことは一緒だったんだ。
 お互い食べていた味が気になって口にしていただなんて、逢えなくて悲しいって泣いていた時間が、今は苦い時間に感じる。
 私は笑ってしまった。泣いていたのを気づかれないように、涙を手の平で擦り取る。
 受け取ったプリンを口の中に入れる。いつもより甘く感じた。
 隣を見ると先輩もプリンを一口している。あれだけ、外で食べるのはと言っていたのに、私に気を遣ってくれたのだろうか。
 そう考えていると、先輩は私に笑いかけてくれた。
「確かに人の前で食べると、うまく感じるな。机の前で食べるよりもさ」
 先輩の優しい言葉が心に染み込んでいく。苦い時間があったからこそ、今の甘い時間が大切に思えるのかもしれない。
 甘いカスタード、苦味のあるカラメルソース。恋と人生ってプリンに似ていると思う。
「この我慢の先には、甘い時間が待っているって考えてもいいよね?」
 私はプリンのケースを強く握りながら、先輩の顔を見た。すると先輩は、なぜか周囲の様子を窺う。
 目の前のカスタード色のイチョウの葉に茶色い落ち葉が重なって、プリンのようになっている。
 店のプリンは売り切れたのだろう。周囲に人影はなく、公園にいるのは私達だけだ。
 薄暗くなってきた誰そ彼時(たそかれどき)――きっと知人が見ても先輩と私だなんてわからない。先輩の顔が近づいて、私は自然と目を閉じて受け入れた。
 微かに聞こえた優しい言葉、
「愛してる」
 それは私が待っていた甘い言葉。重ねる唇、途端に口の中に甘いカスタード味が広がる。
 もう、私は心の中でも、亮太を先輩と言いたくない。苦いカラメルソースの時間はもう終わり。今日のこの時間は、あの時はあんなことがあったねと、笑いながら語り合う思い出になるはず。
 そして私と亮太の思い出は、アルバムに収めた写真と同じように、淡いカラメルカラーで染まっていく。
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