妖しく溺れ、愛を乞え
固まってしまった。
固まったあたしに、支店長が少し強ばった声をかけてきた。
「人事通達まだ出てないだろう。まぁ連絡は入ってたが。春岡くん知らなかったか? 通達は今日出ると思うけど」
連絡入ってた? 知らない。みんな知ってる風だけど、あたし知らない。なにも聞いてない……。本店の人事なんかこっちにあんまり関係無いことだけれど。
……それはまぁいい。この、この専務って、この人……。
「よ、よろ……支店の、は、春岡です……」
握手を交わす。
その様子を見て「準備しようか」と支店長が立ち上がった。
「ああ、春岡くん。図面持って、一緒に来るように」
「え? あたし?」
「営業ひとり来られないから、すまないが」
なに、ちょっと待って。まだ頭の整理が。
「すみません、ちょっと電話を借りたいんですが」
尾島専務が真っ直ぐあたしを見て言った。次々に言ってくんな! なに、ちょっと、この人は。
「じ、事務所の方に……」
連れて行けとでも言うように、会議室を出るように促され、通路に出る。その瞬間、専務が肩に手を置いた。
「この間は……どうも」
「……!」
やっぱり。やっぱりか!!!
「お……電話、こちらです」
声はひっくり返り、わきの下には汗が滲む。まさかの。嘘だろう。恐ろしい夢なら覚めて欲しい。起きた時に遅刻確定だとしても良い。それでも良いあたし。
それよりもなぜ! 本店の専務が変わっていて! なんで! あの晩こっちに居たのかと!
手と足を一緒に出しながら、廊下を専務と歩く。短い廊下。ちょっともう、息が詰まって死ぬかもしれない。