妖しく溺れ、愛を乞え
「今晩、食事会だそうだ。何かうまいものあるのか、こっちは」

 食事会ってねぇ。上役に気を使いながら支店長と営業がゴマする会。どうでも良いよ、あたしは早く次の部屋を探さないといけないんだから。早く帰りたい。今日は不動産に間に合うかな……。

「……牛タン、ですかね」

「ふうん。牛は生が一番うまいのに」

「……? 刺身もありますが」

 牛刺しが食べたいのかしら。

「ああ、いい。今晩は飲み過ぎないようにしなさい」

「今晩、とは……」

「きみも一緒だと」

「え!」

 なんで、勝手にメンバーに入ってるんだ。不動産に行けないじゃないの。

「当たり前だろう。本店から上役が来てるんだから、可能な限り全員参加だ」

 なにその考え方。ああもう、あたし帰りたいのに。急だし! ひどいよ。

「……そ、そう……」

「って、支店長のジジイが言ってた」

「あ、ああ……」

 なんなのこの人、調子狂う。

 横からこっそり顔を見る。
 切れ長の目を、眩しそうにして遠くを見ている。
 うちの営業マンみたいに、長めのうざったい髪じゃなくて、でも超短髪ってわけでもなく、清潔そうにしていて。ちょっとだけ顎髭。

 あったっけ? 顎髭。……覚えてないわ。

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