妖しく溺れ、愛を乞え
「ホテルにまだあるのか、荷物」

 ふっとこっちを見たので、目が合ってしまった。盗み見ていたことに気付いただろうか。ぱっと目を逸らした。

「荷物、あ……関係無いじゃないですか」

 気付いていたのか。でもそれから繋がって恋人に捨てられたことを知られたくなかった。

「あんなにたくさんの荷物があったら、誰だって家出だと思う」

「家出じゃない」

「じゃあ捨てられたんだろ、誰かに」

「誰かにって、親じゃないですよ」

「捨てられたのか、男か」

「ぐ」


 誘導尋問か。クソ。

 言葉を返せないし、先が言えないし、どうにもできなくなって黙ってしまった。現調なんだろ、仕事しろよ。

「いいんですか、あっち行かなくても」

 支店長と部長たちは歩みを進めていて、あたし達から少し離れたところに居た。

「聞いてもよく分からん」

 なんてやつ! 仕事をしろよ、なんでこんなのが専務。

「末端の社員ゆえ人事を知らなかったもので。先日は大変失礼をいたしました。申し訳ございません」

 頭を下げる。なんでこんなことをしているのか分からないけれど、偉いひとだし、会社の上役だし。

「あの夜のことは……忘れてください」

 ゲロ女が、ちょっと変な寄り道してしまったけど、でも前に進まないといけないんだから。間違って失態をさらしてしまっただけなんだから。専務も早く忘れて欲しい。少しだけ目に涙が滲んでしまった。

 言ったあと、ふっとため息が聞こえた。

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