ベナレスからの手紙

杏子からの手紙1

68年12月は今読んだ治の手紙のすぐ後だ、
まずはこれから読むことにした。

「若林君、遅くなりましたが念願の合格おめでとうございます。
去年の暮、桃山御陵の坂道を歩きながら若林君は一所懸命に
話してましたよ。よく覚えています。1期校に合格しないと
私と会話する資格がないとか、必ず日本を飛び出して世界を見
て回るんだとか、一度しかない人生だとか、自分の使命は何なのか
とか、とても難しそうなお話を何度も繰り返しておられました。

私はどう答えていいかわからず、相づちを打つのが精いっぱいで
した。小学校の時からの明るい人気者の若林君のイメージとは
ずいぶん違って見えました。それでも再度受験なさると聞いて
男の人はいいなって思いました。

部屋に上がっていただいて急に黙ってしまわれたので困りました。
何か気に障るようなことを言ったとしたら許してください。あの時
卒業したらどうするのと聞かれて、来年教職をとってできれば幟町
小学校の先生になりたいと答えた時、若林君は『それはいいね。そ
れは絶対いいよ』と言ってくれました。

そのあと『君のテニスは天使のようだ、涙が出るほど美しい』と言
われたの憶えてますか?やはりあの時の若林君の精神状態は異常で
したよ。私も何とか激励しようと思い続けていたんだけど、つい
吹き出してしまいましたごめんなさい。そのことかな?

私の家系は皆肝臓が悪いのと言う話をした時には何度もうなづいて、
心配をかけたんじゃないかとごめんなさい。だけどどうしてもわか
らないことがあります。人と人との触れ合いの中で資格と言うこと
です。若林君が資格がないと言われたときから私自身の資格とは何
だろうと考えるようになりました。

目に余る人間としての資格の無い人たちもいます。ああわからない。
とても忙しそうですね。私もこの数か月来春まではとても忙しく落
ち着きません。母の体調が悪く入退院を繰り返しているので1日で
も多く広島にいようと思います。私も落ち着いたらまたお便りします。    
                            早々
1968年12月16日             

若林治様                     柴山杏子 」
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