ベナレスからの手紙

杏子の日記1

やはりあの後すぐに返事を書いていてくれたのだ。なぜ出さ
なかったのだろう?そうだ日記を見ればわかるはずだ。それに
してもあの時の治は完全に自失していた。会う資格がないなんて
なぜ言ったんだろう?相当追いつめられていたんだろうな。

謝るのはこっちの方だ。テニスしているところをそっと見つめて
いたこともばれてしまった。何とも恥ずかしいことだ。それに、
あれだけ会いたがっていた杏子と、合格と同時にすぐ会いに行く
でもなくバイトと劇団に忙殺されて、今更幼馴染でもあるまいと
どこかで杏子を避けていたのかもしれない。

キャンパスノート20冊はずしりと重い。1冊目はもうボロボロ
で懐かしい灰色に黒帯の大学ノートだ。たどたどしい字で昭和
31年12月30日~昭和32年12月31日と表紙に書いてある。
茶色がかって4隅はほころび破れている。

表紙をめくって1ページ目、昭和31年12月30日(火)くもり、
とても寒い一日と書いてあって大きな字で次のような内容だった。

「きょうの夕方にげんばく病院でにいちゃんが死にました。夏休み
にお父さんとお母さんとお兄ちゃんとみんなで宮島に行きました。
みせんにのぼったり、もみじだにで楽しく遊んだりしてたのに、

またすぐ入院してきょう死にました。おとといものすごくきれいな
目をして、せなかがあついんよの、といってきょう死にました」

2冊目のノートの中ほどに赤い糸が挟んであった。治に関係がある
箇所だと親父さんが挟んでくれた糸だ。確かに後半増えている。
「若林君はとてもおもしろい人気者。兄ちゃんそっくりでだいすき」

いくつかの赤い糸を次々とめくってみたが、みな無邪気で他愛のない
ものだった。それにしてもよく細かく見られていたものだと感心する。
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