ベナレスからの手紙

杏子の日記3

しばらく赤い糸は途切れて、彼女に好意を寄せる先輩が現れた。
ハンサムなプレイボーイだが、あるときデートに誘われてそれを
断ったら、それが相当相手を傷つけたらしくて、数日後部室で、

「君は広島だって、原爆は大丈夫なの?」と聞かれて、
「ひょっとして、そうかも?」と冗談のつもりで答えたら、それっ
きり近づかなくなった。この時若林君に会いたいと書いてあった。

翌春になって、連絡ないしどうしたのかなと思いつつ、新聞に名前
も出てないし、今年も若林君かわいそうと思いながら、次の赤い糸
は図書館での再会の時だった。まさか何なの?うれしいのか悲しい
のか?この時彼女はほんとに驚いたのだ。

治は何回となく杏子をキャンパスで見かけたが間違いなくあのころ
は避けていた。今の自分には会う資格がないと心底そう思っていた
のだ。その後テニスコートの日から桃山御陵の夕べへと続く。桃山
御陵の晩、杏子は日記の後半に怒りを込めてこうつづっていた。

「資格って何でしょう?人と人との触れ合いの中で資格って何なの
ですか。人を好きになったり愛したり、あるいは愛されたりするのに
資格がいるのですか?私に会う資格がないとおっしゃるのは若林さん
自身のプライドとの戦いなのでしょうね。

時にはすごく馬鹿げた些細なことでも、その人にしてみれば大きな
大きな心のとげなのでしょうね。時が来れば、あるいは状況が好転
すればとげは跡形もなくなって嘘のように消えるかもしれません。

最近、私は心の中の小さなとげに気づかされました。それは今まで
考えたくもなかった原爆の後遺症です。ここのところ父も母も元気。
だけど定期健診で間違いなく白血球値が低下してきている。兄は
生まれた時から白血球が少なく病気がちで早くに死んだ。

食事と運動で生命力と体力をつければ大丈夫と医者は言うが。小さな
とげならそのうち自然に消えていく。悪いとげなら、もしかして毒を
持った悪いとげなら必ず私を食いつぶしてしまう。

この悪いとげをもった人間には人を愛する資格も、人に愛される資格
も全く無いのでしょうか?いつか若林さんに聞いてみよう」
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