ベナレスからの手紙

失意

さて当日、八丁堀の電停は混雑していた。5時を少し回って電車の
前方出口から降りてきた柴山杏子は、手に持った教科書を治に手渡
すとすぐまた電車に乗り込んだ。

「少し汚れてますけど」
「いや、どうもありがとう」

電車はすぐ発車して暗くなりかけた軌道を遠ざかっていく。手に教科書
を持ったままその後ろ姿を追い続けた。それが今遺品になったのだ。

京都での1期校の受験に失敗して治は京都の予備校に入った。高瀬との
男の約束で何年浪人しても入ると誓ったからだ。他は一校も受けなかった。
福田は東大高祖は上智高瀬は東工大。京都組は関西医大の児玉工繊の菅波
学芸大の柴山杏子同女の柴田さんそして浪人の若林。

春に1度京都組で集まったが若林は元気がなかった。まともに杏子の顔が
見られない。来年こそはと思いつつ皆から遠ざかっていった。厳しい冬が
来て予備校ではトップクラスで合格90%以上だったのに翌年900点中
8点差不合格になった。この国立1期校は点数を後日出身校に送付するのだ。

広島に帰って進路指導の教官と確認した。数学が悪いという。何と100点
満点中15点しかないという。嘘だ!全問回答して自信があったのに絶対に
これは何かの間違いだ。しかしこれを覆す手立てはなかった。とてつもなく
大きなものが心の中でガラガラと崩れ落ちた。

唖然としたまま治は、重い足取りで2期校の学芸大を受けた。
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