十一ミス研推理録2 ~口無し~
プロローグ
 その日。戌の刻に降った僅かばかりの五月雨は、地上を潤すとともに汚染された空気を浄化していた。予報通りに降ってやんだ雨に応えるかのように、さされていた傘が次々と畳まれていく。
 通行人の足元に創作された小さな水の溜まりが、走行する車の前照灯の光を反射させる。
 その光を神秘的な極光と捉えるか、怪奇的な妖光と捉えるのかは人それぞれだろう。
 冬に創作された土壌が放つ腐葉の臭い。それを清々しい森の香りと喩える者もいる。
 人にはそれぞれの感性が存在する。そして刻みこまれた本能も存在する。
 街のネオンは眠りにつかないが、人が生物である以上、休息の時は必要となる。
 都心の終電は遅い。しかし近隣住民の迷惑も考えられていて、轟音の源である電車は、日付が変わった頃にはとまる。
 都会の喧騒から離れた場所なら、更に足が尽きるのがはやい。うっかり終電を逃してしまえば、とんでもない交通費を払って帰宅するか、粗末な場所に厄介になるしかないだろう。
 駅裏に存在する隠し居酒屋。
 その中で、新入社員歓迎会をしていた会社員一同も、終電が尽きることを理由に、暖簾(のれん)をくぐって外に出た。
 新入社員歓迎会といってもかたちだけのものだ。飲む口実に過ぎない。
 二次会の話も出たが、ひとりの会社員男性は断った。長時間、電車を乗り継いでいかなければ帰れない場所に住んでいたからだ。
 今、出なければ最寄り駅に繋がる終電には間に合わない。
 会社員は、ほろ酔い状態のまま皆に別れを告げると、駅へと足を向けた。
 雨が降ったのは彼にとって幸運だった。冷やされた空気が酔いと火照りをさましてくれる。このまま駅構内に入ってしまうと、何が起きるのかわからない。
 頭上に広がる夜空には、満月と星の煌めきがあった。数時間前には天上を覆い隠していた雲も、薫風の脅威に負けてしまったようだ。
 そこは会社員が数分前にいた場所と比較してしまえば別世界だ。人の気配もなく、時がとまったかのような静寂空間しかない。
 ただ路面を叩く靴音だけが響き渡る。
 しかし、会社員は急がなければいけない時刻だというのに足をとめた。
 右手の路地から、男二人が争うような声が聞こえたのだ。それも尋常ではない怒号だ。
「てめえ、殺されてえのか!」確かにそう聞こえた。
 直後に重いモノが倒れるような音と、男の唸り声が響く。
 先に見てはいけないものがあるのかもしれない。しかし、見ないわけにもいかない。
 最悪の現場を想定しながらも、会社員は恐る恐る路地を覗き見た。
 そして会社員は見た。視線の先にある戦慄走る現場を――。
 血溜まりの中に、男が仰向けの状態で倒れていた。地面には刺された証拠ともとれるような、鮮血に濡れた刃物が転がったままであった。
< 1 / 53 >

この作品をシェア

pagetop