十一ミス研推理録2 ~口無し~
「おいおい、まじかよ。警察に見つかるとまずかったんじゃないか。危機一発だな」
文字を見たワックスが息を切らしながら言うが、提出しないわけにもいかないだろう。
十一朗は持ってきた透明のビニール袋の中に、万年筆を慎重に入れた。
「気は進まないけど連絡しないわけにはいかない。証拠隠滅の罪は刑法一〇四条。二年以下の懲役または二十万円以下の罰金。それに八木にはアリバイがあるし、大丈夫だよ」
ワックスは「でもなあ」と不安そうに肩を落としながら、覗きこんできた綾花を見た。
その時だ。
「おい、藪から坊主ども。何でここにいるんだ。捜したじゃねえか」
怒号ともとれるような野太い声が響いた。もう振り返る気にもならない。十一朗は息をついた。しかし、捜したとはどういうことだろうか。背後にいるであろう貫野を見た。
「もう何も言う気にならないよ……捜したって? なんで?」
十一朗の問いに貫野が、また遺書を取り出して見せた。どうやら警察も考えるところは同じらしい。後ろにいる文目は、出会ったのは当たり前というような顔をしている。
「遺書の紙が包装紙だとわかった。調べたら筆記用具店でな……どうやら、プレゼント用の包装紙らしい。で、店員が程度覚えてくれていてな。顧客リストを調べたら」
言いながら貫野は、コピーした紙を取り出した。顧客リストの中に蛍光ペンで印がつけられている部分があった。客名は『八木和歌子』。
見た綾香の表情が歪んだ。十一朗も直感した。綾花の母の名に間違いないだろう。
用紙を懐に入れた貫野は、一息吐くと十一朗を見た。
「だから捜してたんだ。それに、遺書の紙が包装紙とわかった今、どこかに中身が落ちているはずだからな。買ったのは高級万年筆の女物。名前を彫った特注品で――」
「取引しようか?」
貫野の話が終わる前に、十一朗は話を切り出した。さすがに貫野も表情を曇らせた。裕貴とワックスも顔を見合わせている。十一朗の手の内には貫野の言った証拠があるからだ。
「この野郎、先回りしてやがったな。どうして、てめえは行く先々で……」
刑事の勘だろう。貫野も直感的に気づいたらしい。
しかし、次に見せた貫野の行動は十一朗を驚かせた。親指を立てて駅前の喫茶店を指差す。来い。という指示に違いなかった。
「俺は人の手柄を取るガラじゃねぇからな……左利きの真犯人の情報をくれた貸しは返してやる。他の奴らはどうする? 万年筆の件もあるから、八木って子はいたほうがいいが」
聞いて十一朗は勘づいた。警察は八木の母親が左利きというのを知ったのだろう。共犯は綾花の母――その段階での捜査を開始したはずだ。
それにしても、この気難しい男の変わりようは、どこから伝染したのだろうか。十一朗の中でちょっとした推理が働いた。今朝のことかもしれないな。
「もしかして貫野警部補。親父に俺が捜査に足突っ込んだ話をしたの、悪いと思っているわけ?」
十一朗の問いに、タバコをくわえようとしていた貫野が吹き出した。落ちかけたタバコを何とか空中で捉えて口にくわえる。
「馬鹿言うんじゃねぇよ。子供の悪さを親に教えるのは、大人の常識だろうが」
貫野の言動がおかしい。火を点けようとする両手が変に震えていた。すると、
「先輩、捜査会議で左利きの真犯人がいるという案を出したんです。その後に刑事部長に十一朗君の手柄だって伝えて――」
文目が身を乗り出して語り出す。直後に貫野の首絞めが文目に決まった。
多分、こうなることを承知の上で、文目は言わなくていいことも語るのだろうなと十一朗は思う。そうでなければ、こんな暴力的な男と長く組んでなどいないだろう。
しかし、父と貫野の間で、そんな会話が交わされていたというのは驚きだった。事件に首を突っ込んで邪魔をしたという報告だけなら、父の口から「誇りある、ひとり息子」という言葉は出なかったのかもしれない。変な貫野の気遣いに笑ってしまった。
「升田の件もあるし、話したいことは山積みだ。それとお前、進路変えたんだって?」
タバコを吸いながら、貫野が歩き出した。都内から離れた場所なのでここは路上喫煙禁止区域ではない。それでも、歩きタバコはどうなのかと十一朗は思う。
背後を見ると、裕貴とワックスもついてきていた。動揺している綾花を置いていけないからだろう。
父と進路の話をしたのは今朝だ。情報が流れるのがかなり早い。一課の一刑事が、刑事部長とここまで親密に話をするのは稀ではないだろうか。
刑事部長でも人の親か。十一朗は父の裏の姿を垣間見ていた。
文字を見たワックスが息を切らしながら言うが、提出しないわけにもいかないだろう。
十一朗は持ってきた透明のビニール袋の中に、万年筆を慎重に入れた。
「気は進まないけど連絡しないわけにはいかない。証拠隠滅の罪は刑法一〇四条。二年以下の懲役または二十万円以下の罰金。それに八木にはアリバイがあるし、大丈夫だよ」
ワックスは「でもなあ」と不安そうに肩を落としながら、覗きこんできた綾花を見た。
その時だ。
「おい、藪から坊主ども。何でここにいるんだ。捜したじゃねえか」
怒号ともとれるような野太い声が響いた。もう振り返る気にもならない。十一朗は息をついた。しかし、捜したとはどういうことだろうか。背後にいるであろう貫野を見た。
「もう何も言う気にならないよ……捜したって? なんで?」
十一朗の問いに貫野が、また遺書を取り出して見せた。どうやら警察も考えるところは同じらしい。後ろにいる文目は、出会ったのは当たり前というような顔をしている。
「遺書の紙が包装紙だとわかった。調べたら筆記用具店でな……どうやら、プレゼント用の包装紙らしい。で、店員が程度覚えてくれていてな。顧客リストを調べたら」
言いながら貫野は、コピーした紙を取り出した。顧客リストの中に蛍光ペンで印がつけられている部分があった。客名は『八木和歌子』。
見た綾香の表情が歪んだ。十一朗も直感した。綾花の母の名に間違いないだろう。
用紙を懐に入れた貫野は、一息吐くと十一朗を見た。
「だから捜してたんだ。それに、遺書の紙が包装紙とわかった今、どこかに中身が落ちているはずだからな。買ったのは高級万年筆の女物。名前を彫った特注品で――」
「取引しようか?」
貫野の話が終わる前に、十一朗は話を切り出した。さすがに貫野も表情を曇らせた。裕貴とワックスも顔を見合わせている。十一朗の手の内には貫野の言った証拠があるからだ。
「この野郎、先回りしてやがったな。どうして、てめえは行く先々で……」
刑事の勘だろう。貫野も直感的に気づいたらしい。
しかし、次に見せた貫野の行動は十一朗を驚かせた。親指を立てて駅前の喫茶店を指差す。来い。という指示に違いなかった。
「俺は人の手柄を取るガラじゃねぇからな……左利きの真犯人の情報をくれた貸しは返してやる。他の奴らはどうする? 万年筆の件もあるから、八木って子はいたほうがいいが」
聞いて十一朗は勘づいた。警察は八木の母親が左利きというのを知ったのだろう。共犯は綾花の母――その段階での捜査を開始したはずだ。
それにしても、この気難しい男の変わりようは、どこから伝染したのだろうか。十一朗の中でちょっとした推理が働いた。今朝のことかもしれないな。
「もしかして貫野警部補。親父に俺が捜査に足突っ込んだ話をしたの、悪いと思っているわけ?」
十一朗の問いに、タバコをくわえようとしていた貫野が吹き出した。落ちかけたタバコを何とか空中で捉えて口にくわえる。
「馬鹿言うんじゃねぇよ。子供の悪さを親に教えるのは、大人の常識だろうが」
貫野の言動がおかしい。火を点けようとする両手が変に震えていた。すると、
「先輩、捜査会議で左利きの真犯人がいるという案を出したんです。その後に刑事部長に十一朗君の手柄だって伝えて――」
文目が身を乗り出して語り出す。直後に貫野の首絞めが文目に決まった。
多分、こうなることを承知の上で、文目は言わなくていいことも語るのだろうなと十一朗は思う。そうでなければ、こんな暴力的な男と長く組んでなどいないだろう。
しかし、父と貫野の間で、そんな会話が交わされていたというのは驚きだった。事件に首を突っ込んで邪魔をしたという報告だけなら、父の口から「誇りある、ひとり息子」という言葉は出なかったのかもしれない。変な貫野の気遣いに笑ってしまった。
「升田の件もあるし、話したいことは山積みだ。それとお前、進路変えたんだって?」
タバコを吸いながら、貫野が歩き出した。都内から離れた場所なのでここは路上喫煙禁止区域ではない。それでも、歩きタバコはどうなのかと十一朗は思う。
背後を見ると、裕貴とワックスもついてきていた。動揺している綾花を置いていけないからだろう。
父と進路の話をしたのは今朝だ。情報が流れるのがかなり早い。一課の一刑事が、刑事部長とここまで親密に話をするのは稀ではないだろうか。
刑事部長でも人の親か。十一朗は父の裏の姿を垣間見ていた。