キスより甘くささやいて
第8章 颯太のいない日々
颯太のいない日々は静かに過ぎていく。
仕事は慣れない事も多くて、戸惑うけれど、とても充実している。
白衣の時は、エンゲージリングはネックレスに通して身につけるけれど、
マリッジリングは付けたままなので、
私は既婚者のように扱われる。
旦那様はどんな人?と聞かれて、
お菓子職人です。と答えるのにも慣れた。
結婚している事にしておくと、面倒な食事会や、飲み会を断る口実にピッタリだ。
賑やかな場所は結構疲れる年齢だし、
私は勉強しないと、知識が足りないのだ。


婚姻届は山猫に預けてあって、
私は3ヶ月に1回位の割合で実家に帰るついでに、顔を出しに行く。

最近は鎌倉高校前で江ノ電を降り、
坂を上って、颯太と私が住んでいた家を横目で確認して、
実家に戻る事にしている。
私にとって、颯太と過ごした日々は、色褪せない宝物だ。
時間がたっても颯太を好きな気持ちはそのままだ。

実家には颯太がフランスから戻るまで、結婚は延期した。と話してある。
連絡は一切とっていないって事は言ってないから、時折、
「颯太君は元気?」と母に聞かれる。
「元気で働いてますよ。」
っていう嘘は私が信じている颯太の姿だ。
きっと、眉間にシワを寄せながら、
真剣な顔で仕事をしているだろう。と私は信じている。


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