あの日のきみを今も憶えている
ぐずぐずと泣いている私の横に、穂積くんは黙って座っていた。
それから、私が少し落ち着いた頃、口を開いた。


「俺は、杏里が美月ちゃんを見えなくて、よかったと思うよ」

「どうして?」

「ヒィちゃんっていうクッションがあるから、杏里はまだ冷静でいられるんだと思う」


クッション?
私がそんなものになっているとは、思えない。
涙で濡れた目で穂積くんを見たら、彼は優しく笑った。


「杏里にだけ見えていたら、杏里と美月ちゃんの二人で世界は完結してしまう。それはきっと、杏里にとってよくないよ」


そうなんだろうか。
私には、正解が分からない。
園田くんと美月ちゃんが笑いあえないままよりはいいんじゃないかと、思ってしまう。


「あと、ヒィちゃんだけが美月ちゃんを視れるのには、意味があるんだろうなって俺は思う」

「意味って、なに?」

「まだ、きちんとは分からない。だけどきっと、あるよ。俺はそう思えて仕方ない」

「本当?」

「うん、本当。だから、自分を責めないで。ヒィちゃんは何にも、悪くない。君は、出来ることを精一杯してる」

「そう、なのかな」


私は、もっとできるんじゃないかな。もっと、もっと。
だけど、穂積くんは私の頭を撫でる手をますます優しくして、言う。


「そうなの。だから、ほら、少し笑って。ヒィちゃんは、笑ってる方がいい。ああそうだ。さっき散歩してるときに、美味しそうなカフェを見つけたんだ。好きな物、食べさせてあげる」

「え、本当?」

「何でもいいよ。陽鶴ちゃんは、何が好き?」


立ち上がった穂積くんが、私に手を差し出した。


「えっと、ねー」


言いながら大きな手のひらに自分の手を重ねようとして、私は手を止めた。
ぱちんと何かが破裂するように、瞬間的に、私は理解した。


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