ボロスとピヨのてんわやな日常
 扉から出てきたのは、毛むくじゃらの塊だった。目は完全に隠れ、毛艶もなくボサボサとなった、おおよそ猫とは思えない外見の生き物は、なにも話すことなく俺たちの前にくる。
 俺は野良だが、こんなに臭いがきつい猫と出会ったのははじめてである。毛色も白かシルバーだったのだろうが、汚れて灰色にちかい状態だ。
 これペルシャ猫でいいのか。いいんだよな? 訊いたら、他のペルシャ猫さんに失礼な気がしてきた。
 ハクジャは美姫と親父をじっと見つめてから、口らしき場所を開いた。
「誰かと思えば、姫ちゃんとボロくんかい。せっかくきたんだ。試作中の薬を飲んでみんか。製造過程はいつものように極秘だが効くぞ。三日寝ずともビンビンじゃ。若い頃を思い出せるぞい」
 最後に「ヒッヒッヒッ」と低い笑い声を出す。
 この会話だけでわかった。確かに美姫の言う通り、性格に難がありそうだ。しかも、ちょっとではなく凄く。
「お供え物は最近減ってきてなあ。前ほどじゃないが、ご馳走はできるぞ。まんじゅう食うだろ? お神酒もあるぞい」
 そしてまた最後に「ヒッヒッヒッ」と低い笑い声を出す。これ、この爺さん猫の癖だな。しかし、これで三帝王のひとりか。どうしてそう呼ばれていたのか、不思議でならない。
「長居はせんよ。ただ、ここに病気で倒れたヒナがいるんだ。診てくれないか?」
 気さくな親父が「長居はせんよ」というのは珍しい。ハクジャのことを苦手だと言っていたのは嘘ではなさそうだ。
 ハクジャは「フフン」と鼻息を出してピヨを見つめた。
 というか、酒臭っ! この臭さは体臭だけじゃないのかよ。鼻が曲がるかと思った。
「ふむ……確かに病気では食えんしな。一か月半くらいが食べ頃だぞい。酒を飲んだら治るだろう。百薬の長とも言うし」
「酒は百薬の毒ともいうけどな」
 相手をしている親父は呆れているようだ。美姫も嫌そうな顔をしている。家猫のお嬢さまには、この臭いはきついだろうしなあ。
 とはいえ、このまま話をしていたら、いつまでも本題に入れそうにない。
「食べ頃とか訊いているんじゃなくて、こいつの病気を治せるか訊いているんだよ……じゃなくて、ですよ」
 どんな性格や外見でも相手は三帝王のひとりだ。慌てて語尾を丁寧語に変えた。
 すると、ハクジャは体をボリボリと掻いてから、完全に隠れている両目で俺を見る。
「心配せずとも、数日経てば治るじゃろうて。どうやら、知恵熱みたいだからのう」
「はっ?」
 言葉にならない疑問符で返してしまう。確か知恵熱って人間の幼児がなるっていう症状だよな? えっ、鳥でもなるの? チートなヒヨコさんでもなるんですか?
 俺の混乱をよそに、ハクジャは腹の下を探ると、透明な小さな袋を取り出した。中に入っているのは、オブラートに包まれた白い粉のようだ。どうやって、オブラートをつくったのかと思ったが、考えるのはやめることにしよう。
「心配せずとも、この試作中の薬を飲んだら、すぐに治るわい」
 さらりとハクジャは説明する。さすがの親父も美姫も状況を察したのか、妙な表情を浮かべた。そして、それは俺も例外ではない。
 それって、さっき言っていた製造過程が極秘の薬だろ。一体、中に何が入っているんだ?
 あっ、けど、俺が飲むわけじゃないから、安心してピヨに飲んでもらえばいいのか。
 なにも言わずにハクジャから薬を受け取る。そして、寝ているピヨを揺さぶって口を開けさせると、オブラートに包まれた白い粉を、ピヨの口の中へ――。
 その瞬間。俺の額に「ドスズプリ」という妙な音がした。
「うぎゃああっ、この擬音語はありえなくないかー。ないでほっむっ……ごっくん」
 叫んだ途端。何かが口の中に入る。思わず飲みこんでしまったが、何を俺は飲みこんだんだ? すこししてわかった。俺が持っていたはずの薬がない。
「えっ、ちょっと待って……ということは」
 一部始終を見ていたであろう、親父と美姫を恐る恐る見る。二匹の瞳には憐みを含んだ想いが見え隠れしていた。
 いやだああっ、二匹とも俺をそんな目で見ないでくれ。何が入ってるの? 何が入ってたのさ。いや、言わないでくれ。もしかしたら、知らないほうが幸せかもしれない。
 ピヨはというと、熱で顔を少し赤く染めながらも、そんな物を無理やり飲ませようとするなよ。と言うように、「ピヨッ」と怒りの声を出す。
「……君が飲んでしまったのなら仕方ないな。そのヒヨコには、代わりに栄養剤をあげようか。実験台は一匹でいいからな」
 ハクジャはそういうと、「ヒッヒッヒッ」と低い笑い声を出す。
 実験台って! そういう薬なのか。俺の身になにか起きるってこと? 怖くて眠れないんだけど。いや、眠くならない薬だと言っていたけどさ。
 熱でうなされていたピヨはというと、ハクジャからもらった栄養剤を口の中に入れる。
 何故、猫が調剤できるのかという疑問はコメディだからおいておくとして。安全なものだとわかったら、素直に飲むのかよ――って、体が熱くなってきたのは気のせいか?
「君が飲んだ薬の効果は即効性だぞい。あと、気になったことだが、ヒヨコくんは生後どのくらいなんだ? 知恵熱が出るといい、成長していないように見えるのだが?」
 ハクジャが思わぬことを言いはじめる。そういえば、ニワトリの出荷は一か月半と言っていたな。そう言われると、成長していない気がする。
 ピヨが生まれた時、何か他と違うことがあったっけ。と考えて思い出した。そうだ。こいつは黄金色のタマゴから生まれたんだった。
 ピヨには何か秘密がある。薬を飲んで安心したのだろう。眠りはじめたピヨを見て、俺は、これからどうするかと考え、悩むしかなかった。
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