有害なる独身貴族

私はいつも自分のことで手一杯だ。

でもその代わり、自分のことは自分だけでできる。
生きていくこと、いつも元気でいることも、自分の力で何とかする。


『生きろよ』


あの日彼に言われた。

だから大丈夫。
数家さんに振られても、自分で元気になれる。

生きていくんだ。
そう悪くない未来のために。



**





 物思いに耽っていたら、五分以上の時間が過ぎていた。
いかんいかん、仕事中だよ。

私は我に返り、身支度を整えて事務所を出た。

店内に出る手前で厨房を覗くと、コックコートを着ている人物が二人いる。


「おはようございます」


声をかけると、二人共が振り向く。


「おはよう、房野さん」


下ごしらえの手を止めて視線をくれるのは仲道さん。
こざっぱりした短髪に大きな体が特徴。だけど大きな手が作り出す料理の細工はとても繊細だ。

優しいパパさんの印象そのままに、まだ小さなお子さんが二人いるらしい。


そして、もう一人は店長である片倉さん。
先ほど人の下着姿を見たことなどなかったかのような涼しい顔をしている。


「お、出てきたな、つぐみ」


私をちらりと見て、にこりと笑う。動揺の一つもしやしない。


「……また名前」

「俺は気に入った奴は皆名前で呼ぶんだよ」


嘘。従業員全員呼び捨てじゃん。
本当に気に入っているのは数家さんだけのくせに。

鋭角的な顎のせいか、全体的に尖った印象がある。
整った顔だと思うけれど、猫目を無理矢理笑顔にしているような顔はどうにも嘘臭い。
本心読めない系の四十歳。優雅な……有害なる独身貴族だ。




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