蜜愛フラストレーション
三.あいまいもこ

更衣室で適当なメイク直しと身だしなみを整えたあと、肝心の荷物を取りに行くため自らのデスクに向かった。
その途中、視界の端に隣の部署で仕事中の北川氏を捉えたが、そのまま足早に通り過ぎてしまう。

傍目からすると、私たちが気の置けない同僚の間柄であったのは過去のこと。現在は社内では用事がない限り、会話はおろか目が合うこともほぼなくなっている。

表向きは不仲に見える状態にまで切り替えているのも、社内に不要な敵や煩わしい問題を作ることを避けるため。プライベートのことでもう彼に迷惑は掛けたくないのだ。

デスクに置いたままの忘れ物を回収すると、部署内で残業中の方たちに挨拶して会社を出た私は最寄り駅へと足早に向かった。

十九時に近づく現在、それでも真夏の夜は昼間の焼けるような暑さを色濃く残している。乗り込んだ電車も帰宅ラッシュと重なったので、車内は人々の熱気で満ちていた。
扉の近くに立つ私を乗せて発車した電車は、出発地点から三つ目にある目的の駅に到着。停車し開いた扉を降りると、その電車は発車音とともにプラットホームを離れて行った。

駅構内を進み改札を出ていつものように二番出口の階段を上がった。路上に出たらその大通りの道をまっすぐに歩いて行く。
時おり、ビルとビルの間を吹き抜ける夜風は生ぬるくてどこか湿っぽい。そんな日本特有で都会ゆえのこもった暑さが今夜も頬を撫でていく。

歩き始めて五分ほど経つ頃には、歓楽街の端でひっそりと佇む店の小さな看板が見えてくる。その看板が立てられている雑居ビルの二階が今夜の待ち合わせ場所だ。
ビルの出入口となるガラス扉を開いて入ると、建物の中にある一基のエレベーターに乗り込んだ。

目的地は二階なので、本当はエレベーターに乗るよりも階段を上る方が断然早い。
しかし、一度だけ帰り際に酔っ払って階段を踏み外したことがある。

その時、背後から抱き留めてくれた北川氏のおかげで怪我はしなかったものの、それ以来、階段の利用を禁止されてしまったのだ。


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