蜜愛フラストレーション
そんな懐の深い人を前にして、大きく騒ぎ立てることは出来ない。この考えの読めない視線対処する術などないのだから。
ここでも表情を崩さないように努め、彼の動向に従ってしまうのは、末端の悲しい性なのだろうか。
「アイツが来る」
「……あっ、いつ、ですか」
「ああ、あのクズ」
クズと容赦なく言い放った課長は眉根を寄せ、嫌悪感を露わにしている。……どうやら“アイツ”を本気で鬱陶しいと思っているらしい。
「その、私の名古屋行きと、関連がありますか?」
真っ先に用件を告げてくれたおかげで、本題の衝撃は幾分和らいだ。これもまた彼の計算なのだろう。
「名古屋支社で今抱えている案件を片づけながら、支社のサポートをして貰いたい。
僕もさすがにこれは公私混同しているとは思うが、……あれの執着心の強さは病的なんだ。
かつて、“同様の被害者”がいたことは知ってるだろ?自分のためなら相手を徹底的に陥れる。
二の舞を踏ませる気はないし、業務に支障を来す状況を看過したくもない」
係長の実直さが伝わる物言いに、恐怖心が沸き立ち、身体から血の気が引いていくのを感じた。
「名古屋行きについては指示ではない、あくまで提案だ。
斉藤さんの意思を尊重するし、どちらにしても僕たちは全力で守る。……さて、どうしますか?」
動揺を押し止めることに精一杯な私から、彼は少しも視線を逸らすことなく言い切った。
そこで課長が閉口して訪れた静寂。同時に、やけに重たい空気が辺りを包み始めていた。