異聞三國志
『わからない。でも、元気でいると信じようよ。』
と士郎も答えるしかなかった。
この後の二人はやはり結ばれたのか?
それはさておき、その息子諸葛和は、諸葛瑾及び諸葛恪の親子に育てられて、順調に成長したが、諸葛瑾臨終の際に士郎の子供であり、倭人つまりは日本人であると聞かされた。
和は大変驚いたが、それが彼をして、渡海してまで倭国へ行きたいとの希望につながるのである。
倭は、当時はあの卑弥呼の治めていた邪馬台国の時代。
ついに、彼は帯方郡[朝鮮半島]を経て、倭国へ行った。
当時は未開の地であった倭国であったが、彼は大陸の優秀な技能等を倭国に伝え、大変重宝されたというが、中でも医術は一番得手としていたらしい。
彼は、倭国に留まり、子孫を伝えたという・・・。その子孫が、まさか・・・、そんな訳は・・・、でも士郎が似ているのはやはり・・・。
諸葛和がいた国である日本を、“和”と同音の“倭”と呼ぶようになったという書物もあるが、これは俗説であろう・・・。
完
と士郎も答えるしかなかった。
この後の二人はやはり結ばれたのか?
それはさておき、その息子諸葛和は、諸葛瑾及び諸葛恪の親子に育てられて、順調に成長したが、諸葛瑾臨終の際に士郎の子供であり、倭人つまりは日本人であると聞かされた。
和は大変驚いたが、それが彼をして、渡海してまで倭国へ行きたいとの希望につながるのである。
倭は、当時はあの卑弥呼の治めていた邪馬台国の時代。
ついに、彼は帯方郡[朝鮮半島]を経て、倭国へ行った。
当時は未開の地であった倭国であったが、彼は大陸の優秀な技能等を倭国に伝え、大変重宝されたというが、中でも医術は一番得手としていたらしい。
彼は、倭国に留まり、子孫を伝えたという・・・。その子孫が、まさか・・・、そんな訳は・・・、でも士郎が似ているのはやはり・・・。
諸葛和がいた国である日本を、“和”と同音の“倭”と呼ぶようになったという書物もあるが、これは俗説であろう・・・。
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