Change the voice
最低と最高
(とは言われても、リアルに真下さんと逢えて無いんだから、気を付けようがねーよな)


仕事を終えて地下鉄を乗り継ぎ、0時近くに自宅アパートに戻ると、そこに信じられない光景が広がっていた。

アパート脇の路上にごっそりと、自分の部屋の中身が積まれているのである。

過去の出演舞台から現在に至るまでの台本の数々、パイプハンガーに吊るされた仕事着、一昨日室内干ししたままの洗濯物、果ては歯ブラシに至るまで、全てが家を出た今朝5時には自室の105号室に納められていたものだ。

呆然と立ち尽くしていると、後ろから「オーライ!オーライ!」とトラックを誘導する威勢のよい声が聞こえてきた。

平日の深夜に何事かと声の方を見遣ると、声の持ち主である背広姿の男の方からこちらに駆け寄って来るではないか。


(―――まさか)


「すみませーん!もしかして105号室の桐原さんですか?」


息を切らせながら駆け寄ってきたその男に、恐る恐る頷き返すと、彼はその営業スマイルを崩さないまま、とんでもないことを口にした。


「困りますよー、立退きの期限は守ってもらわないと。もうこっちは半年前からお願いしてるんですから」


「―――た、立退き?!」


「前任者から105だけ連絡が取れないって聞いてたらこれでしょ?まあ、中で死なれてなくて良かったですよ」


尚も物騒な話を続ける男を他所目に、ここ数ヶ月その存在を忘れていた郵便受けに目を遣る。しかし思いがけず、郵便受けから書類が溢れ出ている様子はなかった。


「?ああ、溜まった郵便物ならこちらにありますよ」


男が路上で冷え切ったテレビ台の引き出しに手を伸ばす。しばらく使われていなかったその引き出しは、ぎしぎしと嫌な音をたててたんまり溜まった書類を吐き出した。

仕事に集中するあまり、すっかり頭から抜け落ちていた半年分の紙の量にゾッとする。

今回の立退きの知らせの他に、請求やら督促の文字が見え隠れしているからだ。


「いやー、でもご本人が見えて本当に良かった。ちょうど業者を手配して全部処分に回すところでしたから。これ、業者からの請求書です」


笑顔のまま紙切れを握らされるが、俺には返す言葉がなかった。


「ここにある物全部積んじゃって良いですか?」


いつの間にか建物にぴたりと寄せられたトラックから、処分業者と思しき男2人が降りてきた。


「ああ、たった今持ち主の方見えられたんで、あとはこの方の指示に従って下さい」


俺の背中を押しながら、男は続ける。


「桐原さん、もう明日には土地ごと引き渡しになるので、とにかく荷物は業者を使ってここから移動させて下さい。特に指示がなければ、こちらで抑えている千葉のレンタル倉庫に送られますが、もし引越し先が決まってるならそちらに運ばせてもいいですし、処分するものがあればお願いしても構いません。支払いは全て桐原さん持ちですから」
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