その愛の終わりに

それでも、美都子は逃げずに答えると決めていた。

「最初は軽蔑しました。汚ならしいと思いました。でも今は違います。もう、あなたのことはどうでもいい」

どうでもいい、の一言に何かを感じ取ったのか、義直の耳がぴくりと動いた。

「……一体、俺がいない間に何があった?」

「怒りすら湧かないくらいどうでもいい存在に成り下がったのです。もうあなたに触れられたくないし、これまでのように仲睦まじく過ごすことは出来ません。だったらいっそ、離縁した方がお互いの幸せのためでしょう」

淡々と言い募る美都子に、義直はさらに顔をしかめた。

「離縁したところで、これから先君はどう過ごす?」

「しばらくは実家の厄介になりますが、職業婦人として身を立て、己の食い扶持は己で稼ぐ所存です」

一見、特に不審なところはない意見であった。
しかし、二年間美都子の伴侶として過ごした義直は、自分の妻が何かを隠していると感じた。

そしてちょうどその時、玄関ホールの呼び鈴が鳴った。

しばらく二人が下の階の物音に聞き耳を立てていると、足音が二つ、寝室まで近づいてくる。

控え目なノックと共に、女中が来客を知らせた。

「ご歓談中申し訳ございません。山川診療所の小間使いが奥様を訪ねて参りました」

その言葉を聞いた瞬間美都子の目の色が変わったのを、義直は見逃さなかった。

美都子が何か言う前に、義直がドアを開けた。

「ああ、妻から話しは聞いています。今日はこれから用事が入ってしまったので、お引き取り願えますか?明日、こちらから必ず伺いますので」

「左様でございますか。かしこまりました。院長にその旨お伝えしておきます」

あっという間に勝手に対応され、勝手に帰されてしまった。
ぽかんと口を開けていた美都子だが、次第に怒りが込み上げてきた。

「私の客に、なぜあなたが勝手に対応したのですか!?」

「逆に訪ねよう、山川は俺の友人だ。君に何の関係がある」

「あなたがいらっしゃらない間に洋書の翻訳の仕事を頼まれました」

「本当にそれだけか?」

まるで本心を見透かしたかのような鋭い語調に、美都子は言葉を詰まらせた。

「いつその仕事の話がきた?どこで山川と会った?小間使いを寄越されると知っていたからあの反応だったんだろう?」

矢継ぎ早に繰り出される質問の数々に答える暇もなく、美都子は壁際に追い詰められた。

義直の顔は能面のように白く、そこに表情はなかった。

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