好きだと言ってほしいから
 あの日以降、麻衣は出勤時間をずらしたようで全く会わない日々が続いている。俺がいなくて、きっとこの指紋認証付きのドアを通り抜けるのに苦労しているに違いない。いや違う、そんなことは思いあがりだ。彼女はきっと、俺がいなくても、そんなに苦労することもなく、他の誰かにドアを開けてもらっているのだろう。

 俺たちは確かに別れた。だけど人の心はそんなに簡単には切り替えられない。俺は今でも麻衣を想いながら、麻衣のいない日々をやり過ごしているのだ。

 俺が何も言わないのにしびれを切らしたのだろう。平岡くんが一歩こちらに近づいた。
 俺と同じくらいの背丈の彼と間近で睨みあう形になる。平岡くんは笑っているけど、彼だってきっと瞳の奥では笑っていない。そして俺は笑おうなどとは思ってもいない。

 彼はまるで俺を挑発するような目をした。

「逢坂さんが麻衣と別れたなら、もう遠慮はいりませんよね」

 その物言いに、俺は瞬時に憎悪を覚えた。俺にこんなに激しい感情があったとは。

「……どういうつもりか知らないけど、回りくどい言い方はやめた方がいいな」

 滑り出した言葉が、思いの外きつい口調だったことには、我ながら驚いた。でも仕方がない。俺はいつだって、他人に不快感を与えないよう気をつけてきたけれど、今はそうしようという気がまったく起こらないのだから。

 そんな俺のことを彼はよく知っていたようだ。ほんの一瞬、目を見開いて驚いている。そして満足そうに頷いた。

「……なるほど」

 一人で納得している彼に、俺は苛立ちを募らせる。けれどそれはぐっと堪えた。彼の隣をスッと通り過ぎ、指紋認証の機械に指をかざす。そんな俺の態度が不満だったのか、背後から畳み掛けるように平岡くんが言った。
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