好きだと言ってほしいから
「俺、これから麻衣と飲みに行くんです。あなたと別れたばかりだってことは知ってます。でももう関係ないですよね。俺、麻衣をもらいます。今夜にでも」

「なっ……」

 彼の言葉に、機械にかざしていた指を思わず離して振り返った。彼は「じゃあ」と言って走り去って行く。指紋の認証に失敗した甲高いエラー音が鳴り響いた。
 ふざけるな。どこで飲むのか、店の名前を俺はまだ聞いていない……!

「くそっ……!」

 ここが会社だということも忘れて俺は悪態をつく。すぐに指紋認証のドアを通り抜けると、そのまま真っ直ぐ総務へ向かった。ここには麻衣の友達がいたはずだ。
 大股で廊下を通り過ぎ、勢いよく総務のドアを開ける。ガチャッと大きな音を立てて全開まで開けられたドアに、その場にいた大勢の社員が振り返った。

 肩で荒い息を繰り返す俺は、そのままぐるりと部屋を見渡す。きっと今の俺は、ありえないほど険しい顔をしているに違いない。現に、こちらを振り返った数人の社員が、ぽかんと俺を見つめた後、慌てて口をつぐみ萎縮している。

「あれ、逢坂先輩?」

 そんな俺だったのに、変に構えることなく陽気な声で俺の名前を呼ぶ女性がいた。俺はホッと息を吐く。麻衣の友達の……確か松崎さんだ。俺はツカツカと彼女に歩みより「ちょっと来て」と廊下に引っ張り出すことに成功した。
 そうして今、俺は松崎さんと一緒に、以前にも行ったことがある駅前の居酒屋へと向かっているのだ。

 店へ向かう車の中、俺はずっと麻衣のことを考えていた。
 初めて会ったときから惹かれていた。大学三年の春、突然階段から彼女が降ってきたときは驚いたけれど、この腕で抱きとめたときの彼女の甘い香りが忘れられない。
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