余韻
そんな白昼夢は、ため息混じりに吐き出された老女の声でかき消された。
「やっぱりダメね……去年、大病をやってから、体力が落ちてるの」
「あんなに健康優良児だったキミがかい?」
「やあねえ、何十年前の話よ、それ」
 笑いながらも彼女のひざが軽く崩れるから、私はとっさに手を伸べた。はからずもつながれたその手は枯れ木のように細い骨が浮き上がって、驚くほどに冷たかった。
「あ」
 驚いたような声をあげながらも彼女は私の掌をしっかりと握り締め、いくぶん体重を預けてほっと息をつく。
「あったかい……」
「君の手が冷たすぎるんだ。昔は汗ばむくらいあったかい手をしてたのに」
「そうね、わたしはずいぶんと年をとってしまった……」
「それはお互い様だろう、私だって年をとって……手の平なんかガサガサだぞ?」
「ええ、そうね、『あのころ』の私たちはもういない……」
 ふっと坂の上に向けられた彼女の視線はあまりにも遠くて、現在ではない遠い過去を見るような目だったから……私は彼女の手を強く引く。
「年はとったが、まだ坂道ごときでくたばるほどジジイじゃない。ちゃんと引っ張ってやるから、行こう」
 白昼夢の中から呼び戻されたように、彼女の瞳が大きく見開かれた。と、次の瞬間には目尻に幸せそうな皺をいくつも浮かべてやわらかく細められる。
「ふふふふふ、そういうところ、変わってないわねえ」
「そういうところって、どういうところだよ」
「ぶっきらぼうで不器用で、だけど優しいところよ」
 ゆっくりと歩き出した彼女の歩調は頼りなくて、それに合わせる私は一歩一歩をずいぶんと丁寧に踏み進む羽目となった。
 一歩進んではとまり、彼女が足を上げやすいように手を引き上げる。それにすがって彼女が一歩を進めば私がまた一歩先へ、の繰り返し。
 その中で、すこし息を切らせながら彼女が言った。
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