鈴木くんと彼女の不思議な関係

 その夜、自宅の湯船の中で、自分の腕にも出来た引っ搔き傷を見ながら、俺は落ち込んでいた。とうとうあの子をオカズにしてしまった。それだけはするまいと、心に決めていたのに。彼女への想いは胸に納めると、決めたばかりだったのに。

 この傷を付けたのは多恵だ。俺の腕の中で、痛みに怯えながら、必死で俺にしがみついた。それは彼女が俺を信頼している証で、俺は今日まで精一杯、その信頼を裏切らぬよう、彼女を大切にしてきた。はずだったのに。

 誰にとがめられた訳でもない。だが、心の中は後ろめたさが半分、開き直る自分が半分。
「告白れば良いじゃないですか。」川村の言葉がまた頭を巡る。

 一年前、入部してきた可愛い後輩を好きになるのに、そう時間はかからなかった。でも、彼女があまりに無垢だったから、演劇部での時間があまりに楽しかったから、それを少しでも損なうのが怖かった。正直、女の子をどう扱えばいいのかも、全く分からなかった。
 そして一年間、俺は彼女と仲間として過ごし、誠実な先輩を演じ続けた。あと数週間で引退という時期になって、今更、それを後悔するなんて。

 彼女が俺の胸に顔を埋めて泣いたあの日。彼女を抱き締めることが俺にできていたら、今頃、何かが違っていたのだろうか。


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