私は、アナタ…になりたいです…。
自分の体が恨めしくて嫌気がさして外へと飛び出した。
行く当ても無く歩き続けて、水音に誘われるようにこの路地へ入り込んだ。

行き着く先にある店先から溢れる卵色の光に包まれたくて扉を開けた。
中ではあったかい湯気が立ち込めていて、仄かに漂う醤油の香りが、ほっ…と気持ちを和ませてくれた。


初めて訪れた僕を大将と女将さんは一瞬ギョッとしたような表情で見つめた。
思い詰めた顔をしていたらしい僕は、カウンターの隅へどうぞ…と招かれた。


熱燗のつけられたコップ酒を持って来ると、女将さんは隣に座り自分や大将の名前を紹介し始めた。
店の名前の由来もその時に教えてもらったのだ。

それから僕に向かって、こんなことを話した。


「あなたは今かごめの輪の中に入ってきたのよ。いろんな人があなたの周りにいて、これからいろんな人があなたの背中に止まるの。今、あなたの後ろにいる人は誰かしら?その人は、あなたにどんな顔で振り向いて欲しいと願っているかしら?」


女将さんは何の話もしないうちから僕に何かしらの事件が起きてるんだ…と悟ったらしい。

優しく問いかける様なトークは、打ち拉がれそうになっていた僕の心の奥底に止まった。



「今、背中にいるのは……」


呟き始めたら涙が溢れだした。
拭おうともしない僕におしぼりを持たせ、女将さんは「うん…」と頷いた。


「きっと……亡くなった母だと思います……」


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