優しい胸に抱かれて
 朝からみんなの顔色を伺っていた。身支度をしておきながら出掛けない佐々木さん。誰も何処にも出掛けようとしないからやきもきする。

 いつ部長に呼ばれるのかと、そわそわしている。やっぱり、届けは部長の目に入ってなかったのかもしれない。


 結局、何処にも出掛けないみんなを後目に、更に増えていく事務作業を片づけていた。時間はお昼前、11時半。お腹が空いてくる頃合いだ。


 その時がやっと訪れた。離れた場所から届く部長の叫び声。

「柏木ーっ、ちょっと来い」

「はーいっ!」

 部長室から飛んできた待ちわびた声に、勢い付けて遠くへ聞こえるように返事をし席を立つ。


 囲った4席、島野さん、日下さん、佐々木さんの3人全員がパソコンの画面に視線を縫いつけていた。一目見て、作業場を離れた。


 部長室を覗くと、立ち上がりジャケットを羽織っているところだった。

「なぽり行くぞ。鞄、持ってこい」

「え? なぽり、ですか? 鞄…?」

 なぜ[なぽり]なんだろう。しかも、鞄まで。普段は財布片手にほぼ手ぶら状態。


「何だ、不満か? 今日が最後だろ」

 と、上着の内ポケットに財布を忍ばせ鞄を持ち上げた。


 急いで鞄を取りに席へと戻る。変わらずみんなは目と手先を動かし、画面に釘付けだった。

 今日が最後と言ってくれた部長のあとを追いかけるものの、歩道の雪は溶けてなくなって歩きやすくなっているというのに、相変わらず歩くのが早い部長には置いて行かれる。

「トロい! 置いて行くぞ」

「…とっくに置いてかれてます」


 そして、[なぽり]の扉を開け、定位置へと促された時。今日が最後なのは私ではなかった。と、数日前の会話を思い起こす。


「部長さん、紗希さん。もしかして…、最後だから来てくれたんですか?」

「3年お疲れさん。就職できなかったらうちに来るか?」

「えぇ? 部長さんのところですか? 分野が違いますってば」


 最後だったのは、水を運び注文を取りに来たバイトのさゆりちゃんだった。
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