ほとんどパラダイス
奈落の恋人
「……視線を感じる。」

すっぽん、と呼ばれる歌舞伎の舞台装置の下を見学しているとき、誰かに強く見つめられている気がした。

「あら。また懸想(けそう)されてるの?……大変ねえ。」
すぐ横から、松尾教授がそう声をかけてきた。

「わ!聞いてはったんですか!恥ずかしい。」
慌ててそう言ったけれど、年嵩(としかさ)の気のいい松尾教授がほほ笑んでくださったのが、暗い奈落(ならく)でもよく見えた。

「今さら、でしょ。紫原(しはら)が無駄にモテるのはわかってるから。自主ゼミを半年で壊滅させたぐらいですものね。」
「……もう、それ、やめてください。」
松尾教授はネタとして言っているのだが、私にとっては、はっきり言って、人生の汚点の1つだ。

「男って馬鹿よね、ほんと。紫原の中身がわかってないんだから。」
「中身は、ひねくれた、意固地なおっさん、なんですけどねえ。」
自嘲的にそう言うと、松尾教授はフフッと笑った。
「暴力的で毒舌やしねえ。」
……否定されるどころか、付け加えられてしまった。

でも松尾教授は、そんな欠点だらけの私、紫原 学美(まなみ)をかわいがって面倒を見てくれている、ありがた~い稀有(けう)な女性だ。


松尾教授の言う通り、私は無駄にもてる。
本当に、無駄でしかない。

幼少期は何度も誘拐され、性的な悪戯をされそうになった。
……心配した父親が護身術代わりにと、スタンガンを持たせてくれてたため、すんでのところで逃げ切ってたが、一度、相手を失明させたらしく……逆恨みで自宅を放火されてしまった。
あげく、両親は離婚。
私は、父の母、つまり祖母に育てられたようなものだ。

小学生の時には、担任教諭に依怙贔屓されて、クラスの反感を買っていただけでもつらかったのに、次第にその教師に言い寄られるようになった。
悩んだ私は拒食症となり、保健室の先生を経由して校長の知るところとなり、担任は処罰されて山奥の学校へ左遷。
……人気のある教師だったせいで、クラス全員の恨みと怒りを買ってしまった。

中学生になると、普通に男子にモテた。
当然のように、女子に疎まれ、嫌われた。
……私は、完全に男嫌いになり、さらに、女女(おんなおんな)した女子のことも苦手になった。

高校は、女子校に行った。
ここで私はようやく伸び伸びと学校生活を送ることができた。
女子校は、本当に楽しかった。
男がいない世界でなら、女子は普通に仲良くしてくれるのかと、目から鱗な思いだった。
このまま女子大に行きたかったのだが……系列の大学には希望する学部も、師事したい先生もいなかった。

結局、美術史を学べる今の大学を選び、現在4回生の夏休み。
サークルも合コンも、女子との軋轢を作るだけなので、ひたすら避けてきたが……勝手に勘違いされて想われることは避けきれなかった。
1,2回生時の語学クラスや、3回生から始まったゼミ演習。
そして、3回生の後期に参加した大学院生主催の古文書読解のための自主ゼミ。
……狭い教室でお互いを認識したり、話す機会が増えると……面倒も増える。

「まあ、無理ないけどね。紫原、かわいいくせに、無頓着で地味だから。どんなにうっとおしくボサボサ髪で顔を隠しても、暗いもっさりした格好してても……ある日ハッと気づいちゃうんだって。ギャップ萌え?」
松尾教授にそう言われて、私は苦笑いする。
「……本気で目立ちたくないんですけどね。」
「無理無理。今日みたいにスーツ着て髪をまとめてたら、やっぱり目を引くわぁ。」
「勘弁してください。バイト代もらえなきゃこんな格好しませんよ。」
そんな話をしてると、暗闇から低いエエ声が聞こえてきた。

「どんなに隠そうとしても、美は隠しきれないものですよ。いっそ開き直って武器にしては如何ですか?」
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