ほとんどパラダイス
激しく動揺した私は、歩行器から手をずらしてしまい、そのまま廊下にヘナヘナと沈んでしまった。

看護師さんがバタバタと走ってくる。

慌てて加倉が私を立たせようとした。
「や!触らんといて!」
加倉の手を払い、歩行器の足に掴まった。
けど、腕の力も落ちてるらしく、歩行器を手繰り寄せるどころか、ずるずると押しやってしまった。

廊下に横臥する形になった私を、看護師さんが抱き起してくれた。

「ほらほらほら。患者を興奮させるなら、お前も面会謝絶にするよ。」
病室に戻るとまもなく、扇子をパタパタさせながら山崎医師がやってきた。

「でもこのままじゃ上総(かずさ)が壊れちまう。……ことさんに預ける患者が増えるぜ。」
ことさん……山崎医師のことかな。

山崎医師は皮肉気な顔になって加倉に近づき、持っていた扇子で加倉の肩を軽く小突いた。
「いつまでも俺の前で他の男を呼び捨てにしないでくれる?いい加減、限界。むかつくんだよ。気づけよ。ばーか。」

山崎医師にそう言われて、加倉の顔が真っ赤になった。

……てか、たぶん私も赤くなってると思う!
急にじゃれ合うなよ!ゲイカップルめ!

「あ、そうだ。どうせ病院の昼食は手をつけないだろうから、買ってきた。」
山崎医師が白衣のポケットから取り出したのは、プリン。

「……あんまり好きじゃない。」

「点滴じゃ回復しないよ。ケーキでも大福でも取りあえず食べてほしいんだけど。」
苦笑する山崎医師に、私は渋々うなずいた。

「いただきます。」
そう言って、プリンを開ける。
工場の廉価品じゃなくて、どこかのケーキ屋さんで手作りしているらしい焼きプリンにはバニラビーンズも交じっていた。
これなら、美味しそう。
口に運んでみる。
甘すぎない。
うん、美味しい。
ゆっくりだけど、プリンを平らげることができた。

加倉も山崎医師もホッとしてくれてるのが手に取るようにわかって、くすぐったい気持ちになった。

「ごちそうさまでした。美味しかったです。」
心からそうお礼を述べた。

けど、直後にリバース。
「何で?」
プリンをゲロゲロ吐きながら、涙が止まらなかった。

「拒否ってるね~。体より心だろうね。点滴しながら少し話そうか。」

看護師さんを呼んで、吐瀉物を片づけてから、山崎医師がそう言った。
「中村上総、ね。訳ありだけど、いい役者みたいじゃない。顔もいい。評判もいい。後ろ盾がなくても太い客掴めるんじゃないの?」

「……そんなホストみたいなこと、してほしくない。」

やれやれ、と山崎医師が肩をすくめた。
「どんな芸術にもパトロンは必要でしょ?タニマチでも支援者でもいい。芸に金を出してくれる人。……紫原さんは、現代でも前近代のように役者がご贔屓筋の夜の相手をしなきゃいけないと勘違いしてないかい?」

ちょっとムッとした。
「建前はどうでもいい。どんな世界にもパワハラはあって、後ろ盾のない上総んは、立場が弱くて……」

「人気商売なんだから、これから強くなればいいじゃん。」

「ずいぶんと楽観的なんですね。」
嫌味のつもりでそう言った。

「紫原さんが悲観的すぎるんだよ。」

……その通りだ。
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