オフィス・ラブ #Friends
あたしはこういう場面で、そういうことを、自分から言ったためしがない。

わざわざ言わなきゃしてくれないような相手を、選んだことがないからだ。

彼は、ふうん、と嫌味な感じに片目を細めると、唇と唇が触れそうなくらいの距離に顔を寄せて、低く言った。



「もうちょっとで、聞こえてきそうだったけどね」



暗くてよかった。

あたしはきっと、悔しさと恥ずかしさで、真っ赤になっていた。


この人、顔も整ってるけど、一番気をつけなきゃならないのは、やっぱり声だ。

まろやかで、少しこもったような、独特の響きかたをする声。

いつもどこか濡れてるような甘さで、ちょっと人を落ち着かなくさせる声だ。

昼間は、そこまで意識せずにすんだのに。

モードが切り替わると、その特徴が顕著になるんだろうか。


言い返そうとしたあたしの顎を、ぱちんと指で弾くと、一度身体を起こした彼は、あたしにまたがったまま背広を脱いだ。


この人、まだ上着着てたんだ。

あたし、何やってたんだろ。

何もできず、ただ好きにされてたのか。


ネクタイを引っぱって緩めながら、もう一度身体を倒して、こめかみにキスをしてくる。

あたしはそのワイシャツに手を伸ばして、少し待ちきれない気分でボタンを外した。


せわしなく服を脱がしあって、それでも絶対に、唇にはキスをくれない。

あたしがしようとすると、あからさまによける。

腹立ちまぎれに、さっさと向こうのベルトに手をかけると、耳のうしろに舌を這わせていた彼が、笑う気配がした。



煙草があると、集中できないから。


その意味が、わかったような気がした。

この人、基本的に自分勝手なんだ。

相手を自分のペースに巻きこむのが、得意っていうより、もうくせになってるんだろう。

煙草があると、なおさら自分のリズムをつくりやすくなっちゃうから、相手に合わせたい時は、ないほうがいい。

そういう意味なんじゃないかな。


と、滑らかな背中を抱きながら思った。

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