海は悲しきものがたりいふ
忘られがたき夕べなりけり
頼之さんのお母さまに癒やされて辞去すると、ゆっくりと坂道を降りて帰路につく。
キラキラ輝く海を眺めながら歩くのは、真夏で汗だくになっても何だか心地よく感じた。

線路を3本越えて、ごちゃごちゃした街に降りてくると、空気がすっかり変わってしまった。
苦笑しつつ、久しぶりにあの喫茶店に向かった。

「妊婦だけど、美味しいコーヒーください。」
あっけらかんとそう言うと、マスターは少し驚いた顔をしてから、微笑してうなずいた。

丁寧に入れてくださったコーヒーの香りに、ホーッとため息が出た。
「妊婦さんだけど、インターハイの応援にも行かれるんですか?」
マスターの問いに、私は首を横に振った。

「ちょうどその頃、四十九日の法要があるんです。」
……正確には、開会式の日だ。

頼之さんは、負けた時点で引退となる。
サッカーで生きるつもりはなさそうなので、人生最後のゲームかもしれない。
本当は見にきて欲しいだろうに、一言もそんなことは言われてない。
県大会の時のように、勉強させられたり意見を請われることもない。

気遣ってくれてるのだろうが、正直、おもしろくない。
かと言えば、勝手に私の庇護者面してるのも、気にくわない。

頼之さんとの微妙な距離感もまた、ストレスの要因だと思ってる。

「あ。」
マスターの声で顔を上げると、窓の向こうに見覚えのある高級車が停まった。

「頼之さんの……」
さっきお母さまから聞いたお話を思い出して、ムカムカしてきた。
「私、空気になるんで。よろしく!」
マスターにそう言うと、鞄から本を出して読んでいるふりをした。
「普通にしてたらいいよ。却って不自然だから。」

「こんにちは。」
そう言いながら頼之さんのお父さまが入店した。

「毎度。」
まいど?
マスターはいつもと違ってくだけた言葉と態度になった。
もしかしてお友達だったりする?

お父さまはカウンターに座ると、灰皿を引き寄せた。
そしておもむろに店内を見回した。

目が合ってしまった。
「……よろしいですか?」
煙草を見せながらそう聞かれた。

「どうぞ。」
と私が答えたのと、マスターが
「控えてください。」
と言ったのは、ほぼ同時だった。

お父さまは首をすくめて、煙草を懐(ふところ)に片付けた。
少し離れてるし、別にいいかなあって思うんだけど。

マスターが丁寧に挽いて入れたコーヒーを頼之さんのお父さまに差し出した。
「インターハイも観に行かないんですか?」

頼之さんのお父さまは、淋しそうな声で
「行けないねえ。どんな顔して行けると?」
と返事した。

するとマスターは、盛大にため息をついた。
「かわいそうに。本当に観せたい人には観てもらえんて。……そりゃ、気合いも入るわけないわ。」

今、絶対!私にも向けて言ったよね?
たぶん、頼之さんのお父さまと私、同じ顔したと思う。

明らかにしゅんとした様子のお父さまは、黙ってコーヒーを飲んで、立ち上がった。
「また来るよ。」
背中に哀愁が漂ってた。

……嫌な人でも悪い人でもない。

人の運命って、難しいな。
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