Trick or Love?【短】
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「お疲れ」


オフィスの最寄り駅とは反対側にある、小さな居酒屋の一角。そこで待ち合わせていた原口くんにビールジョッキを片手に切り出され、同じように「お疲れ様」と労いの言葉を紡いだ。


初老の夫婦が営んでいるこの居酒屋は原口くんのお勧めで、一人で呑みたい時によく来ているのだとか。狭い裏通りにお店を構えるここは同僚達にはあまり知られていないらしく、私も彼に教えて貰うまではこんなところに居酒屋があることすら知らなかった。

店内は衝立で区切られた四人用の座敷が三席と、カウンターが八席。月曜日の今日は客足が少なく、私達以外には二人組の年配の男性客しかいない。
ここに来るのは今日で二度目だけど、親しみ易い店内の雰囲気のお陰で居心地は良かった。


そんな中で交わすのは、仕事の話ばかり。
他にもっと話したいことがあるはずなのに、肝心なことを切り出すきっかけを見つけられずにいた。


頭の中では用意していた台詞が踊っているのに、上手く声にできない。
そうしているうちに、お互いにゆったりとしたペースで呑み進めていた二杯目のビールがなくなり、注文したメニューもどれも平らげてしまっていた。


原口くんが本題に触れないのは、どうしてなのだろう。あの日は待つのが嫌いだと言っていたくせに、今日に限って何も言ってこないなんて……。
これも原口くんの策略なのかもしれないと勘繰る私を余所に、彼は「そろそろ行くか」と口にした。


「え?」

「ここで話すのか?」


ごく自然と訊いた原口くんの表情を見て、彼はただ私の出方を待っていてくれただけなのだと気付いた。

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