恋は死なない。



「これで、願いがひとつ叶ったよ。ずっと見つめるだけだった君が、僕の奥さんなんて、夢みたいだ」


役所を出てから、満ち足りたように和寿が微笑んだ。その和寿に手を曳かれて、佳音はなんだか雲の上を歩いているような感覚だった。それほど、今自分の身に起こっていることは現実感がなく、和寿の言ったように、都合のいい夢を見ているのではないかとさえ思った。

夕暮れの街、仕事帰りの人々が多く行き交い始めた中を、二人は手をつないだまま、言葉少なにゆっくりと歩いた。今日というこの特別な日に、起こったことのすべてを噛みしめるように。
そして、工房へたどり着く。この日から、佳音のちっぽけな工房が二人の家となった。

靴を脱ぎ、暗い工房の明かりを灯そうとしていた佳音に、


「……佳音」


和寿が声をかけた。
その声色の深さに、電灯のスイッチに伸びていた佳音の腕の動きが止まった。振り返ると、窓から入ってくる夕映えの薄明りの中で、佳音を見つめる和寿の姿が浮かんでいた。


「……愛しているよ」


目の前にいる和寿から発せられるその言葉の響きは、佳音の体を芯から震えさせた。
和寿に会えなかった時間、佳音が一人で生きていくために、何度も記憶の中から取り出して、反芻していた言葉だった。


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