早春譜
 フェンスの向こうでは大が球拾いをしている。


「それって、三年生がすることかい?」

大は突然聞こえてきた声に驚いて、持っていた球を落として呆然と美紀を見つめた。


「何遣ってるの。ほら早くしないと」
美紀は笑っていた。


大はハッとして周りを見回した。
大慌ててボールを拾う姿は美紀には滑稽に写った。


「これでレギュラーだって言うんだから呆れるね」


「イヤなトコ見るなよ。これはなー、秀と直のサポートだよ」

大はそう言って、グランドに目をやった。

秀樹と直樹のバッテリーが、新入生に豪速球を披露していた。


「エースだからな秀は」
自慢げな大。


「内証だけど、『アイツは大物になる』ってコーチが言ってたよ」

玉を抱えグランドに戻って行く途中で言った。




 秀樹はようやく、判りかけていた。
コーチの言った。
キャッチボールの意味が。


それは、チームだった。

幾ら凄いピッチャーが居たとしても、それを受けてくれるキャッチーが居ないと、ナイン全てが居ないと成り立たないと言うことが。

それに気付いたプレゼントとして、入部希望者の前で豪速球を披露する場を与えられたのだった。


『アイツは大物になる』
コーチの言葉はあながち間違いでもないようだ。




 クセのあるカーブは封印しないとピッチャー生命に係わる。
だから敢えて『ストレートもまともに投げられない奴に、変化球が投げられる訳がない!』と言ったのだ。


それでもチェンジアップだけは投げさせることにしていたのだ。


俗にOKボールと言われる球種だ。
親指と人差し指を付けて投げることからサークルチェンジと言われているスローボールだ。


チェンジアップの握り方はこれだけではない。
ピッチャーの工夫で何通りも発生している注目球なのだ。


打者の手元で減速して落ちるボールのチェンジアップが最も効果的なのは速球を武器にしている投手だ。
二つを組み合わせることで威力は倍増するからだ。
この時、ストレートと同じ投げ方にすることが重要課題だった。




 野球部の要として育って行く秀樹と直樹。
美紀の自慢でもあった。

もっと見ていたかった。

美紀は後ろ髪を引かれながら、自転車に乗った。


でも美紀はその時気付いていなかった。
大が美紀に見とれていたことを……
どうやら大は美紀に恋をしてしまったようだ。


秀樹は何も知らずに美紀の後ろ姿を見送っていた。

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