早春譜
 代理母のことは父から聞いていた。
相澤隼が大女優と言われている《怜奈》の息子だと言われている事実も。
それでも詩織は言えなかったのだ。


「カルフォルニアでは代理母業が盛んなのよ」


「代理母業って?」


「特に日本人のお客様向けかな? 沢山お金を払うから」


「何かビジネスって感じね。出産って神秘的だと思っていたから、何だか怖いわ」


「出産ってリスクを伴うものなの。だから罰当たりな行為だと私は思っているのよ」


「だからって……。相澤隼さんはあのソフトテニスの王子様騒動の後姿を隠したそうよ。そんな人を……」


「誰から聞いたの?」


「さっき話した中野直美さん。彼女は相澤隼さんと同じアパートに住んでいたのだって。だからお母さんが直美とお姉さんと一緒に保育園に送り迎えしていたんだってさ」

まさか母に父から聞いたとは言えなかったのだ。


「あっ、だったら一度その人に会わせてくれる? お詫びもしたいし……」

でも話は別方向に向かっていた。


「私が事故に巻き込んだから?」


「そうよ。でもそんなことより食べましょうよ。詩織お腹空いてないの」


……ぐ、ぐぐー。

タイミング良く、腹の虫が鳴いた。




 久々の母の手料理は美味しかった。
詩織は満足したかのようにナフキンで口を拭いた。


「何時もこんな美味しい物を食べているのか。親父が太るはずだ」

淳一も満足そうだった。




 母は食事と後片付けを済まして、大急ぎでマンションを後にした。


でも母は出掛ける前に気になることを言った。


「相澤隼さんがアパートから引っ越したのは、叔父さんが宝くじを当てたからよ。逃げ出したのではないのよ」
と――。


(逃げ出した訳ではない? じゃあ直美は何故あんなことを言ったの。一番近くにいたのは、アパートのすぐ側に引っ越した直美の家族なのに……だから見てきたはずなのに)


結局、二人が本当の兄妹ではないかと聞けなかった。


母が居なくなった室内には重苦し雰囲気に包まれていた。




 「相澤隼って、ソフトテニスの王子様って言われていたのか?」


「そうなんです。中学時代ですが、騒がれ過ぎて引っ越したって直美が言ってました」


「だから又逃げ出すと思ったのか?」

淳一の言葉に詩織は頷いた。


「優しいな工藤は」


「二人っきりの時は、工藤じゃなくて詩織がいい」

詩織は自分の発言に驚いて、思わず俯いた。




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