早春譜
美紀の願い
 七月の最終週。
秀樹と直樹が、高校野球に出場のために高校の用意したバスで甲子園球場に向かって出発して行く。

甲子園球場では八月二日より練習が開始される。
そのために数日前から現地に向かわないといけないのだ。

組み合わせ抽選会は五日だった。


それを見送った正樹と美紀も、その場から車で大阪に向かって出発しようとしていた。


セコンドとして雇ってくれたオーナーが、プロレスの試合を関西方面で組んでくれたのだ。


確かに秀樹の豪速球は地元だけではなく、新聞の話題にもなった。


――元プロレスラー・平成の小影虎の息子――
として……

それをオーナーも見逃さなかったのだ。


高校野球での注目されている秀樹と直樹の双子バッテリー。
引退して五年が過ぎても未だに衰えない平成の小影虎の人気。

それを使わない手はないと考えた結果だった。


たからあの記事が出た時は本当に喜んだ。
仕手やったりとほくそ笑んだのだ。


オーナーは正樹の息子達が甲子園を目指していることを知っていた。
だからそれを目論んで手を打っておいたのだった。


もし甲子園出場が本決まりになった時、正樹が気兼ねなく応援出来るようにしておきたかったのだ。


幸いプロレスの試合は殆どが夜だった。
セコンドは選手の身の回りの世話もしなくてはならないのだけど、もし試合とかち合った場合は子供達を優先させる気でいたのだった。
だから正樹は誰に遠慮することもなく甲子園に向けて出発出来たのだ。




 美紀はこの機会にあることを試してみたくてウズウズしていた。
そのために今、車のドアの前にいた。


実は美紀はまだ一度も助手席に座ったことがなかったのだ。

其処は何時も珠希の席だった。

だから子供の時から後部座席だったのだ。


死後五年を経ても尚、ママとしての存在感は不滅だったのだ。

それは、娘にとって脅威だった。
だからまだ一歩を踏み出せないでいた美紀だった。


今初挑戦の幕が開く。


――カチャ。

意を決して、助手席側のドアに手を掛けた。


(ママ許して……私パパの隣に座りたい。どうしても座りたい!)


足をマットに置こうとやっと一歩踏み出してみた。


でも駄目だった。

又乗ろうと試みてみた。
そして又決意が揺らぐ。


美紀はその場で呆然としたままで助手席を見つめていた。
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