月夜に散歩
漆黒のヴィオラ─雨のダンス─
 走る。

 潮の香りとねっとりした油の香りが融ける雨の中、水溜りを弾いて走る。

 ああ、何故こんなに人気のない方へと逃げてしまったのか。少女は後悔しきりだった。その後悔の念すら、雨を掻き分けて追ってくるモノに掻き消されてしまいそうだったけれど。

 あれはなんだ。

 雨のせいか涙のせいか、濡れた顔を後ろへやれば、焦げた色の人の形をしたモノが、飛び跳ねながら少女を追って来るのが見えた。積み上げられたコンテナの上から、その影から。キキキ、と耳障りな甲高い声を響かせてやってくる。

「あっ」

 振り返りながら走っていたのがいけなかった。段差があることに気付かず、勢いよく水溜りの中に突っ込んでしまった。

 焼けるような痛みが手のひらから伝わってきたけれど、それを気に留める余裕もない。いつの間にか焦げた色の人型が、少女をぐるりと囲んでいた。

 口から漏れた声は声にならず、代わりに焦げた人型の耳まで裂けた口から、気が狂いそうなほどの高い笑い声が響いた。恐怖に身を竦めた少女に、爛れて異臭を放つ手が次から次へと伸ばされる。

 絶望にクラリと視界がまわる。力が抜けて、雨粒の弾ける水溜りの中に身体が沈みそうになった。
 
 そこに、一陣の風。

 人型の嫌な悲鳴が聞こえたと思ったら、少女は一瞬の浮遊感ののち、いつの間にか積み上げられたコンテナの上に座り込んでいた。

 何が起きたのか戸惑っていると。

「怪我は、大丈夫?」

 柔らかな声が雨とともに少女に降り注いだ。顔を上げると、黒いスニーキングスーツ姿の女が、静かな瞳で見下ろしていた。

 少女は何も答えることが出来ず、ただ、女の宝石のように美しい翡翠色の瞳を見つめ返した。

 雨に煙り、何もかもが灰色に染まる景色の中で、何故か翡翠色だけは輝いていて。惹きつけられて。一瞬だけ自分の置かれている状況を忘れてしまっていた。

 それを思い出させたのは人型の嫌な声。

 爪を立てるようにしてコンテナに飛び上がってきた焦げた色の人型に、少女は悲鳴を上げる。けれども女は予備動作なしに回転し、風切り音を鳴らしながら後ろ回し蹴りを放った。

 頭に打撃を食らった人型は勢いよく吹っ飛び、地面に2、3度身体を跳ねさせて水溜りの中に落ちた。それをコンテナの上から静かに見下ろしていた女は、太股のサイホルスターから素早く二挺の銃を引き抜く。

「いけない子たちだね」

 そうして翡翠色の瞳のように、こんな暗雲の下でも輝く漆黒の銃口を人型に向けた。
 
「踊らせてあげる」

 柔らかな声とは対照的に、銃が鋭く火を吹く。







【漆黒のヴィオラ】

テーマ 『雨のダンス』



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